DMNで起きていることは非象徴的な一次過程?
例の「ルビンの壺」の絵の実験で、面白いものがあるという。あの絵を見せられた人の誰が、最初に「壺だ」と言い、誰が「顔だ」というかは、それを見せる前にその人の脳を調べればわかるという。脳に人の顔を認識する紡錘状回という所があるが、そこの血流が上がっている人は「顔だ」となるらしい。これはどういうことか。
恐らく脳は揺らいでいてどこがどれだけ興奮しているかは区別がつかない。そしてそこでどのような発想が生まれるかもあらかじめ決められていない。地殻の変動による地震と同じように「冪乗則」に従うと考えるしかない。するとそこで起きてくることは、まさにフロイトの言う一次過程に似てくるのではないか。つまりそれ自身ではあまり意味をなさない、暗号の様なものだ。そのわからなさ、意味の通じなさは、私達が見る夢に表される。しかもしれは「非象徴的」だ。フロイトの考えたようなより深層の意味を持っているというわけでもない。