2022年10月30日日曜日

感情と精神療法 推敲 6

 転移を賦活すること

  さてこれまでの議論では来談者が治療者に興味を持ち、そこで出会いが生じることには多分に偶発性が絡んでいるということになった。しかしそれでは治療者は来談者が偶発的に治療者に興味を持ち、陽性の転移を起こすことを手をこまねいて待っているだけしかすべがないのであろうか。フロイトはそこに治療状況で治療者が匿名的で受け身的である必要性について考えた。しかしそれだけでは不十分であるだけでなく、逆効果にも働く可能性があるということをここで指摘しておきたい。
 そもそも人が他者に興味を持ち、その考えを知りたくなったり、会話をしたくなったりするのはどのような場合なのだろうか? そこには様々なきっかけがあるだろう。その人の書いたり行ったりしたことを知り、共感を覚えるという場合もあるし、その人の話に大きな興味をそそられ、もう少しその考えを知りたいということもあるだろう。あるいはその人の考えや行動に感動し、もう少し深くその人を知りたいと思うこともある。場合によってはその人の言動に違和感を覚え、会って意見を戦わせたいと思うこともあるかもしれない。
 例えばあなたがある先生に魅かれ、その先生について深く何かを学びたいと思うという。その先生にあなたは最初は特に関心を持たないかも知れない。しかしある時その先生に「これを読んで御覧なさい」と何気なく渡された本からその先生の研究分野について興味を覚えるとしたらどうだろう。その先生は貴方が潜在的に興味を持ってはいても意識しなかった部分に気づかされたのである。するとその先生のかかわりはある意味では非常に貴方にとっての意味を持っていたことになるだろう。
 いずれにせよその人との言語的な交流により自分が変わるという予感を持つのだ。そしてそれはその人の考えや行動を知るということによって生まれるとすれば、その人をより深く知るということが大きな前提となる。
 このことを治療関係について考えよう。来談者が治療者にそのような意味での深い興味を持つとしたら、これは理想的な転移関係を意味するといえるであろう。そしてこのような機会は、治療場面において治療者の考えを知ることを深めて起きる可能性があるとしたらどうだろう? 治療者が匿名性に守られることは少なくともそのような機会をより少なくしてしまうことにならないだろうか? 
 もちろんこのことは治療者が自分の考えをとうとうと述べて治療時間がそれで終わってしまっていいということではない。治療者が自分の考えや生き方を来談者に示すとしたら、それが来談者のためになると判断した場合に限らなくてはならない。さもないと治療場面は治療者の自己愛の満足のための機会ということになってしまう。
 私が言いたいのは、治療者についてより深く知ることが、患者の「治療の妨げにならない陽性転移」を深めるとした場合、それは治療者と来談者の間の治療的なダイアローグで生じるべきことであるということだが、そのもっともよい機会は何か。それがメンタライゼーションであるというのが私の考えだ。