「不安の精神病理学」再考 の推敲の段階に入る
現代の精神医学における「不安」
現代の精神医学においては不安の占める位置は低下しているらしい。精神医学の診断基準のゴールドスタンダードであるDSM‐5やICD-11では「不安障害」としてカテゴライズされる障害は減少している。これまではいわゆる神経症群≒不安症群にあらゆるものが入っていたが、DSM-5(2013)に強迫神経症、PTSD,急性ストレス障害が不安性障害から「旅立って」いったのだ(塩入、p.2中山書店 2014) ただしそれだけでは不安性障害はパニック障害、全般性不安障害、社交不安障害くらいだけになってしまうので、外部からの援軍があった。それが分離不安障害と場面緘黙だったのである。
しかしこれはどのような現象として理解すべきなのだろうか?一昔前なら、神経症
= 不安を主たる体験とみなす傾向があった。神経症とは不安の病であるという観念は、フロイト以来多くの精神科医の頭にあったのである。フロイトの考えや定式化は、やはり長い間準拠枠になっていたのである。
ただし不安という概念は古いものの、病名として出てきたわけではなかったという。むしろアメリカの神経学者である George Beard により提唱された神経衰弱 neuroasthenia の概念が広く浸透し、不安に関連する疾患はほとんどこのカテゴリーに属していた。そしてフロイトもこの神経衰弱という概念から不安に基づく概念を取り上げ、不安神経症と名付けた、とある。
不安の概念は精神医学のみならず精神分析や哲学においても主要なテーマであった(Stein, 2004)。
Stein, DJ. (ed)(2004) Clinical Manual of Anxiety Disorders. American Psychiatric
Publishing.
フロイトが不安について語りだしたのは、精神分析を確立する前の話だ。1895年の「『不安神経症』という特定症候群を神経衰弱から分離する理由について」で不安について論じ、そこでリビドーの鬱積して生じる不安という意味で「鬱積不安説」を説いた。そして1898年 Sexuality in the Etiology of the
neurosis.ですでに述べている。
現実神経症:不安神経症、神経衰弱、心気神経症
精神神経症:ヒステリー、強迫神経症、恐怖症、自己愛神経症
フロイトは「性欲論のための3篇」(1905年、岩波6 p289)に1920年に付けた注で、不安についてこのようなことを言っている。
ある3歳の少年が暗闇で叔母さんに話しかける。暗闇が怖いので返事をして欲しいという。そして叔母さんの声を聞いた子供は安心する。叔母さんが「部屋は暗いままなのにどうして安心するの?」と尋ねると男の子は「叔母さんの声を聞くと明るくなる」と言ったという。フロイトはこのようにして不安は愛する対象の不在によるものだとする。さてここからがフロイトの意図を読めないのだが、フロイトはこのことから神経症の不安がリビドーから生じること、そしてリビドーが不安に変換されるのは、酢とワインの関係だ、という。ワインというリビドーが酢という不安になるということだ。この理屈が分からない私はバカなのだろうか。いやそんなことはない。フロイトは後にこのリビドーが抑えられた結果として不安が生まれるという説を否定するからだ。
3歳の男の子の例の方がむしろ分かりやすいだろう。不安が叔母さんがそばにいることを実感するという「報酬」により解消された。不安は暗闇に一人置かれたという危機的な状況により生まれる。この方がずっとスッキリする。この場合は酢からワインへ、という方向になる。この説の方が分かりやすい。
フロイトが「性欲論三篇」(1905)にこの注を付けたのは1920年だが、すでにフロイトはこの不安学説に矛盾を感じていたのだろう。