2022年8月26日金曜日

不安の精神病理学 推敲 16

 「トラウマ状況を予見、予測する時、それを危険状況danger situationとしよう(p.102)

最終的にフロイトは述べる。「不安とは対象の喪失という危険に対する反応として生じる。(ISA105)」これを待って、私達はフロイトが示した図式を次のようにまとめることが出来る。

D(危険状況)――危険(対象の喪失)を予測し、能動的に準備する心を有する時。

T(トラウマ状況)――危険(対象の喪失)を受け身的に体験し、寄る辺なさを感じる時。

フロイトは迷わず、不安の起源として母親の不在を例に出す。その時赤ちゃんが母親の不在に耐えられず、母親の出現のneedsを有するなら、それはトラウマ状況、そのneeds がなく、赤ちゃんが母親の不在に耐えられたら、それは単なる危険状況であるというまっとうな判断を下す。 (ISA, .106)

この図式にはある種の時間の経過と記憶という二つの極めて重要な要素が絡んでいることは疑いない。この部分をフロイトに代わって明確化しておこう。まずTにおいては、今直接起きていることである。Dはそれを未来に起きることとして、心の準備をしておくことである。おそらくそれは時々Tの状況を想像して、ある意味では下見、ないしは疑似体験する。もう一つはTの記憶はそれが徐々に受け入れられていく。それはある種の情緒を伴った回想であり、それによりTはそれとしての機能を失っていく。それがフロイトが注目した除反応という現象である。昔のトラウマ記憶は想起されることで症状が消失するとフロイトは考えた。これはトラウマ状況で生じたことが除反応を伴って回想され、受け入れられていくことでそのトラウマ的な色彩(フラッシュバックなどを伴う)を失っていくということである。
 このプロセスは記憶の面から考えることが出来る。記憶には自伝的な記憶とトラウマ記憶の両方の成分が含まれる。後者は受け身的に対処するしかなく、それは神経症的である。そしてこの様に考えるとフロイトはすでに現代的なトラウマ記憶の理論を既に先取りしていたことになるのだ。

さてここまで考えを進めたフロイトは、当然次のような疑問を持っただろう。ある強烈な体験を受け身的な形で持ち、それを徐々に吸収していくプロセスはないだろうか。それをフロイトは喪mourningや苦痛 pain であるとした。

ISAの巻末に収録されている「アペンディクスCでフロイトはその重要な問題に触れている。彼は「不安、苦痛、喪 anxiety, pain, mourning」についてこう自問する。対象の喪失に対する反応は不安以外のものがあり、それが喪であり、苦痛でもある。これらの区別は何か?私なら次のように言いたい。恐怖も喪失も痛みも、不快な体験である。それがある種のトラウマとして受け身的に体験された後、人はそれを予想し、予見しようとする。恐怖の場合はそれを不安として、喪失の場合は、喪の先取りとして、苦痛の場合は抑うつ?として、というわけである。