不安に関する森田の考え方は、この短いまとめには表されてはいないものの、死生観に通底している。以前に書いたもの(2014年「死生学と森田療法」)から該当部分を抜き出すことにする。これはそもそも心理療法をする側は、自分なりの死生観を持つべきだという立場から発している。
まず森田療法の根本的な姿勢は「とらわれを捨てよ」、ではなく「とらわれに対するとらわれを捨てよ」だったのだと考えることで、森田療法と精神分析の逆転移の概念はつながるのではないかと思う。とらわれるな、とは分析的には、逆転移を捨てよ、ということだが、それは治療者が人間として生きている限りは無理な注文であろう。そしてこの自分のあり方に対して同時に別の視線を持つということが、後に述べる実存的な二重意識ということにつながるのだ。
そこでとらわれや受容の問題を考える時、やはり最終的に残ることは死の問題だ。とらわれの究極は、やはり生へのとらわれや死の回避に関するものだろうと思う。そして森田にとっても、死の恐怖をいかに克服するかというテーマが重要なテーマだった。森田療法を編み出すことにより、森田先生は死を克服できたのだろうか?
ある論文から引用する。
「森田正馬は,死をひかえた自分自身の赤裸々な姿を,生身の教材として患者や弟子たちに見せることによって,今日言うところのデス・エジュケーションをおこなった人である。彼は1938年に肺結核で世を去ったが,死期が近づくと,死の恐怖に苛まれ「死にたくない,死にたくない」と言ってさめざめと泣いた。そして病床に付き添った弟子たちに「死ぬのはこわい。だから私はこわがったり,泣いたりしながら死んでいく。名僧のようには死なない」と言った。いまわの際には弟子たちに「凡人の死をよく見ておきなさい」と言って「心細い」と泣きながら逝ったと伝えられている。
弟子のひとり長谷川は,次のような追悼の文をしるしている。「先生は命旦夕に迫られることを知られつつも,尚生きんとする努力に燃え,苦るしい息づかひで僕は必死ぢゃ,一生懸命ぢゃ,駄目と見て治療してくれるな』と悲痛な叫びを発せられた。『平素から如何に生に執着してひざまづくか,僕の臨終を見て貰いたい』と仰せられる先生であった」。虚偽,虚飾なく,生の欲望と死の恐怖を,最後まで実証しつつ死んでいったのである。(岡本重慶)
これを読む限り、森田先生は最後まで死への恐れと対面しながらこの世を去ったようである。ところで森田先生は、「死への恐れは、生に対する欲望の裏返しである」という表現をしている。生への欲望があるからこそ死を恐れることになる。しかし森田のこの考えにはある疑問が生まれる。「では生への欲望を抑えることが死への恐怖の克服につながるのか?」 もしそれに対してクリアーな回答をしていないとしたら(そして私が知る限り森田はしていないようだが)それが彼が至った疑問であるのだろうと思う。
精神分析の分野では、米国の分析家アーウィン・ホフマン Irwin Hoffman が、他に類を見ないほどにこの死生観の問題について透徹した議論を展開している。彼の死生学はその著書 “Ritual and Spontaneity(儀式と自発性)” の第2章で主として論じられている。ホフマンはフロイトの1916年の「無常ということ」という論文を取り上げている。そしてこの論文は、死についてのフロイトの考えが、実はある重要な地点にまで到達していたとしているのだ。この無常についての英語の原題は On Transience つまり「移ろいやすさ」ということだが、フロイトはこの論文の中でこんなことを言っている。「移ろいやすさの価値は、時間の中で希少であることの価値である」。そして美しいものは、それが消えていくことで、「喪の前触れ」を感じさせ、そうすることでその美しさを増すと主張し、これが詩人や芸術家の美に関する考え方と異なる点であることを強調している。いかに永遠の美をそこに凝縮するかを彼らは常に考えているのだ。そしてフロイトの論じる美とは、それとは異なるものとして論じられているのだ。