2022年7月14日木曜日

不安の精神病理学 再考 4

 そこでホフマンを通してみる死生観とは、私なりにまとめると次のようなものだ。
「死すべき運命は、常に失望や不安と対になりながらも、現在の生の価値を高める形で昇華されるべきものである。死は確かに悲劇であるが、外傷ではない。外傷は私たちを脆弱にし、ストレスに対する耐性を損なう。しかし悲劇は私たちが将来到達するであろうと自らが想像する精神の発達段階を、その一歩先まで押し進めてくれるのだ。」
最後に死すべき運命を受け入れるための「死の内面化」についても論じた。私はそのためには毎日の生活の中で間断なき努力を行う以外にないであろう。過去の修行者は様々な形で日常的に死の内面化を行う努力をした。ある人は只管打座に明け暮れ、ある人は経文を唱え、ある人はお伊勢参りをし、ある人は托鉢僧や修行僧となったのだ。ただし療法家は人と関わるのを生業としているのでいきなり世捨て人になるわけにはいかない。そこで私が考えるのは、やはり人との関わりとの中で日々自らを確かめることができるような営みである。
 特に私が考えるのは、常に我欲を捨て、人に道を譲るという生き方だ。ただしその障碍となるのが意外にも、周囲が自分に道を譲らせてくれないという事情がある。でもそれを愚直に守った人がいて、その一人と私が考えるのが、西郷隆盛である。
(中略)
愚直なまでに謙虚だった西郷隆盛に「とらわれ」はなかったのだろうか?ここで「とらわれ」という言葉を使っているが、ここでの「とらわれ」とは日常の些事において、死すべき運命にある自分がたまたま生きていられる事の幸せに鑑みてそれを受け入れることができない状態、生に執着している状態を意味する。私は西郷にも捉われはあったのだろうと思います。彼が特使として朝鮮に赴くと言い出したとき、そこには多少なりとも名誉欲があり、自己愛を満たしたいという気持ちはあったはずです。しかしそれが岩倉や大久保らにより拒絶されたとき、それを受け入れて自らの政治生命を葬り去ることにほとんどためらいはなかったのだ。二重意識である。一方では揺れ動きつつ、それを遠くから見ているもう一つの意識、精神分析家なら、観察自我、observing ego と称したくなるものの存在である。ただし世俗で人と交わり生きている以上、とらわれから逃れることはできない。謙虚さを持ちこたえることは自己愛との戦いでもある。ちょうど死に際にも「死にたくない」とさめざめと泣いた森田先生のように。死ぬ間際もそしてそのような自分をどこかで見つめている二重意識を持ち続けることが、おそらく森田先生が示唆していたことではないかと思うのだ。
さて不安性障害に戻る。一つの疑問がわく。私達の抱く不安は、死への不安の派生物であろうか?この種の議論には結論が得られていないが(これほど科学が進歩しても、依然として結論が出ないのだ)一つの理論としてそれはあるものの、それだけではないということだ。アーネスト・ベッカーと言う人の本「死の拒絶」The Denial of Death がそれをよく表しているだろう。

例えば精神分析になじみの人ならすぐに思いつく去勢不安という概念がある。去勢されることへの恐れやそれにまつわる不安であり、子供(男児)が根源的に持つ不安であると言われる。でもそのさらに深いレベルにあるのは、分離不安、一人ぼっちになってしまうことへの不安、そしてそのさらに根底にあるのは死への不安、ということになる。
この理論に対して別の考えを示すならば次のようになる。
私達が最大に恐れるのは死である、あるいは死こそが根源的な不安のもとなのだ、という考え方には実は確証がない。実は精神医学には apeirophobia(無限恐怖症)という概念がある。終わりがない、永遠に生き続けることの恐怖があるとしたら、死への恐怖をどのように説明できるのだろうか。