2022年5月31日火曜日

他者性の問題 112 Bromberg の紹介の大幅加筆

 次にBrombergの所論についても触れてみよう。Brombergがその論文の中で繰り返し訴えるのは、私たちの自己selfが非連続的ということだ。彼は Stephen Mitchell (1991) の次のような言葉を引用する。「私たちは異なる他者とかかわることで、私たちの自己の体験は、非連続的となり、 異なる他者には異なる自己が成立する。」「それぞれの関係性が多数の自己組織を含み、そのような関係性が多数ある」(p.127-128)。つまりはMitchell がそのような多重的な心という考えをすでに持っていたのであり、Bromberg はそれを引き継いでいると言っているのである。Brombergは私たちが持っている「自分は一つ」という感覚自体が危ないという。それは一種の幻想であり、トラウマ的な出来事によりいとも簡単に消えてしまうのだ。そしてそのような時に解離は防衛として機能する。つまり将来危険が来ることが予期されると、解離は早期の警告システムとしての意味を持つようになるという。ちなみに  Brombergのこの考えは結局は解離されたものは象徴化されていないものunsymbolized となり、やはり不完全なもの、病的なものというニュアンスを持つことにある。したがってこの点は私の考えとは異なる。
 ちなみにBromberg の「自分は一つという感覚自体が危うい」という主張は、自分は複数あるというポリサイキズムを肯定する主張にもとれる。しかし結局はそれらは治療その他により統合されるべきものと考えられるのであり、その意味では Stern と同じ路線上にある議論、すなわちタイプ1.に属することになる。

Bromberg  の論文はさまざまな論者を援用しているが、なかでもPH. Wolff (1987) は注目すべきかもしれない。Wolff は人の心は生まれた時からすでに一つではないという。彼は乳幼児の観察から、自己はいくつかの「行動状態 behavioral states」から始まり、発達的にそれが統合されていく。J. Kihlstrom によればそれが(またもや)象徴化により結びついて統合されるという。Brombergによればその象徴化が起きない度合いに応じて解離が強くなる。彼にとっては解離=非象徴化なのだ。しかし結局はそれは一つの心の中で起きることなのだ。

Wolff, P. H. (1987). The development of behavioral states and the expression of emotions in early infancy: New proposals for investigation. University of Chicago Press.

その意味ではBromberg の理論は脳の局在論に近いことがわかる。人間の脳はさまざまな部位が異なる機能を担っている。そして主観的には自分は一つであるという幻想を持つものの、実は主観が及ばない、すなわち解離された部分が存在し、その意味では心は複数なのだ。

そしてBromberg は脳科学者Joseph LeDoux (2002)の研究に言及する。LeDouxは以下のように言う。「思考はそれぞれが単位unit だが、単一 unitary ではない。自己のすべての側面が必ずしも同時には表現されず、それらのいくつかは矛盾することすらあるという事実は複雑な問題を来すようである。しかしこのことは自己のそれぞれの側面は脳の異なる部位の機能を表しているのである。ただしそれらは常に同期している in sync というわけではないという」。(LeDoux, 2002, p31 ただしBromberg p641に引用されている。)

Bucci, W. (2001) Pathways of Emotional Communication. Psychoanalytic Inquiry 21:40-70 LeDoux, JE (2002) The synaptic self. New York Viking.

 以上現代的な精神分析における解離の理論について検討した。Stern にとっては解離されたものは未構成の非言語的な意味ということになる。またBrombergにとっては非象徴化の状態ということになる。両者とも抑圧理論とは違う、あるいはそれを遂行、精緻化する上で個の解離の機制が説明されている。しかしいずれにせよその様なことが起きているのは一つの心の内側と言わざるを得ない。つまりvan der Hart の分類ではタイプ1.ということになる。