2022年3月17日木曜日

他者性 その41 「責任能力」のところを手直ししている

 責任能力とは何か?

ここで責任能力という問題について簡単に触れたい。この概念ないしはタームは本章で何度も出てくるからである。ただしこの「責任能力」はあくまでも法律用語であり、精神医学の用語ではない。しかしDIDの法的責任などについて考える際に極めて重要になってくる。そして当事者が「責任能力」を有するかどうかによって、収監されるか、執行猶予つきになるか、無罪になるかが大きく変わってくるからである。

ただし少し間違えやすいのは、「責任能力」を有するという事は、ある意味では被告人がより重い罪を着せられるという事に繋がる。つまり責任能力がある人はそれだけ精神障害の影響が軽度であるという事を意味するのだ。

 日本語版WIKIPEDIAの「責任能力」の項目には以下のように書いてある。

「責任能力とは、一般的に、自らの行った行為について責任を負うことのできる能力をいう。刑法においては、事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力をいう。また、民法では、不法行為上の責任を判断しうる能力をいう。」

これが正式な表現とするなら、より簡便な表現として法律関係の書類などで用いられているのは、いわゆる「物事の善悪の弁識・制御の能力」という表現だ。例えば

 心神喪失:該当する状況事理弁識能力・行動制御能力のいずれかが『失われた』状態

心神耗弱:該当する状況事理弁識能力・行動制御能力のいずれかが『著しく減退』した状態。

そこで責任能力のエッセンスは「状況事理の弁識・制御能力」である、という事になる。

実際の例を取って考えよう。酒に酔ってタクシーの運転手に暴力を振るった男性の場合(そのようなニュースを時々聞くことがある)、その人は「状況事理の弁識・制御能力」を失った状態であると言えるだろうか? まず一般常識的には間違いなく、それは認められないだろう。「勝手に酒に酔ったんだからその人の責任だ」で終わりである。そこにはあくまで、その人は概して健康で、物事の判断を十分できたはずであり、飲酒もまた自己判断で行ったという前提がある。つまり少なくともわが国では「責任能力アリ」となる。

ただし個人的な見解ではあるが、ひどく酩酊した人の多くは、ほぼ間違いなく「「状況事理の弁識・制御能力」」を失うことを経験的に知っている。普段は極めて理性的な同僚が二次会などで酔っ払って豹変する姿を見たりして思うことだ。しかしその場合でも暴力を振るうという行為そのものよりも、そうなることがある程度分かっていて飲酒をしたという行為そのものが罪に問われることになるだろう。

では次の例はどうだろう。ある男性が悪意ある他者に騙されて「ソフトドリンクですよ」と言われて実際はアルコール入りの飲料を飲まされた場合は? これで一挙に難しくなるであろう。さらに判断が難しい例も考えられる。医師に処方された薬剤(例えばフルニトラゼパム)を指示通り飲んだ人がタクシーの運転手さんに暴行を加えたとしたらどうなのだろうか? フルニトラゼパムはマイナートランキライザー(精神安定剤)で、処方された量がその人にとって多すぎた場合は飲酒に似た酩酊状態になる。だから酩酊状態にある人と似たような行為に至る場合も十分あり得るのだ。この人の場合、責任能力は減弱していると認められるのだろうか? もちろんこの人の場合は、「そういう状態になることが分かっていて好き勝手に」その薬を飲んだことにはならない。

実は責任能力と精神医学の関連性は実に複雑で多岐にわたることがお分かりであろう。精神科で「間歇性爆発性障害Intermittent explosive disorder」、ないしは衝動コントロール障害という病名があるが、それに罹患した人の場合は、物事の是非・善悪を弁別できても自分の行動をコントロールできないと見なされ、情状酌量の余地ありとなるのだろうか?