2022年3月14日月曜日

他者性 その39 「攻撃者との同一化」のところを微修正

 黒幕人格の成立過程

黒幕人格がどのように成立するかに関して、ひとつの仮説として「攻撃者との同一化 identification with the aggressor」というプロセスが論じられる場合がある。「攻撃者との同一化」とは、もともとは精神分析の概念であるが、児童虐待などで起こる現象を表すときにも用いられることがある。攻撃者から与えられる恐怖の体験に際し、それがあまりに強烈で対処不能なとき、被害者は無力感や絶望感に陥る。そして、攻撃者の意図や行動をほぼ自動的に自分の中に取り入れ、同一化することによってその事態に対処するというのがこの「攻撃者との同一化」である。

この「攻撃者との同一化」という考えは、フロイトの弟子でもあり親友でもあった分析家Sandor Ferenczi  1932年に「臨床日記」の中で記載し、同年にドイツのWiesbadenでの国際精神分析学会で発表した。それ以来トラウマや解離の世界では広く知られるようになっている。(ただしこの概念が正式に英文で発表されたのは、1949年となっている。)そして紛らわしいことにS.Freudの末娘であり分析家だった Anna Freud はその4年後に「自我と防衛機制」(A. Freud, 1936)中で同名の概念(「攻撃者との同一化 identification with the aggressor」)に言及している。しかも紛らわしいことに、彼女は Ferenczi のこの「攻撃者との同一化」を引用していないのだ。あたかもその存在を知らなかったかのようである。しかしもちろんその当時の狭い精神分析界で、その存在を知らないことはなかっただろう。この当時、死期の迫っていたFerenczi は、それでもFreud と仲たがいをし始めていて、そのきっかけとなった論文に出てくる同概念を、娘のAnna は無視する姿勢を取ったのかもしれない。

ともかくA.Freudはこの「攻撃者との同一化」を「攻撃者の衣を借りることで、その性質を帯び、それを真似することで、子供は脅かされている人から、脅かす人に変身する」(p. 113) と説明している。そしてこれはFerenczi のいうそれとは大きく異なったものだった(Frankel, 2002)。Ferenczi は「子供が攻撃者になり代わる」とは言っていないのだ。彼が描いているのはむしろ、一瞬にして攻撃者に心を乗っ取られてしまうことなのである。
 Ferenczi がこの概念を提出した「大人と子供の言葉の混乱」の記述を少し追ってみよう。

Ferenczi, S. (1933/1949). Confusion of tongues between the adult and the child. International Journal of Psychoanalysis, 30, 225-230.(森茂起ほか訳「おとなと子供の間の言葉の混乱」(「精神分析への最後の貢献フェレンツィ後期著作集  岩崎学術出版社、2007年 pp139-150」。

Ferenczi, S1932/1988the Clinical Diary of Sandor Ferenczi edited by Judith Dupont translated by Michael Balint and Nicola Zardy Jackson 森茂起訳 (2018) 臨床日記.  みすず書房.

 

 

 「彼らの最初の衝動はこうでしょう。拒絶、憎しみ、嫌悪、精一杯の防衛。『ちがう、違う、欲しいのはこれではない、激しすぎる、苦しい』といったたぐいのものが直後の反応でしょう。恐ろしい不安によって麻痺していなければ、です。子どもは、身体的にも道徳的にも絶望を感じ、彼らの人格は、せめて思考のなかで抵抗するにも十分な堅固さをまだ持ち合わせていないので、大人の圧倒する力と権威が彼らを沈黙させ感覚を奪ってしまいます。ところが同じ不安がある頂点にまで達すると、攻撃者の意思に服従させ、攻撃者のあらゆる欲望の動きを汲み取り、それに従わせ、自らを忘れ去って攻撃者に完全に同一化させます。同一化によって、いわば攻撃者の取り入れによって、攻撃者は外的現実としては消えてしまい、心の外部ではなく内部に位置づけられます。」(森ほか訳、p.144-145)

このようにトラウマの犠牲になった子供はむしろそれに服従し、自らの意思を攻撃者のそれに同一化する。そしてそれは犠牲者の人格形成や精神病理に重大な影響を及ぼすことになるのだ。Ferencziはこの機制を特に解離の病理に限定して述べたわけではないが、多重人格を示す症例の場合に、この「攻撃者との同一化」が、彼らが攻撃的ないしは自虐的な人格部分を形成する上での主要なメカニズムとする立場もある(岡野、2015