2021年10月3日日曜日

解離における他者性 2

 実際には臨床家はどのように出会っているか?

 臨床場面で交代人格が出現しかかった時には臨床家の先生方は様々な反応をするようであるが、私が患者さんや臨床家の先生方から聞いた話を総合すると、それらには大体次のようなパターンがあるようだ。

  1. 不気味さを感じ、どのように扱っていいかわからず当惑する。

2.    患者が演技しているに違いない、と考える。あるいは、本当に解離している時はあるが、しばしば演技している。

  1. 特別な対応をせず、そのまま気が付かないことにして流してしまう。

 1.のパターンを示す人には、恐らく多重人格という現象についてほとんど予備知識のない一般人も含まれるであろう。そもそも私たちは一人の人間に二人以上の人格が存在するという事を常識的に受け入れられない。だからその事態をどのように理解し、扱っていいかわからずに当惑するであろう。そこには不安や不気味さの感覚が伴うかもしれないし、それを体験している自分が何か夢を見ているのではないかという感覚にも捉われるかもしれない。「狐につままれた」という表現がぴったりだろう。この表現を辞書で引くと、「意外なことが起こり、訳が分からなくなり呆然とする様」などと出てくるが、まさに化かされたり魔法をかけられたという感覚を持つのである。そして大抵は誰かに助けを求めることになるのだろう。そしてある意味ではこのような反応が最も正直なのかもしれない。

それに比べて、2,3はこの1.を最初に体験した人がそれに対処するための方便と考えることができるだろう。だからある意味では1.より問題があると言わざるを得ない。1.の段階では自分が体験していることに向き合い、対処する余裕があることになる。ところが、2.3.ではそれを放棄して誤った対処を行っていることになる。

1.のパターンは私が解離性同一性障害を有すると思われる患者さんが違法行為を行った際、その鑑別を担当した精神科医(精神鑑定医)にしばしば出会う反応である。おそらくDIDを有する人々の中で一番理解や共感をしてもらえない傾向にあるのが、別の人格状態で罪を犯した人たちではないかと私は思う。例えば万引きをした罪に問われて裁判にかけられ、精神鑑定の対象となった人々が精神科医の前で「私は盗んでいません。しかし怒らく(別人格の)Bさんが盗んだと思います。」と伝えた場合、その言葉をそのまま信じようとする人が一体どれだけいるであろうか。それはたとえその人がDIDという状態を有しているという事が明らかであったとしてもやはり同様の扱いを受ける可能性があるのである。
 最近同時期に進行した二つの事例はその事情を表していた。偶然にも問題となったお二方はかなり明白な人格交代を表していたために、それぞれの鑑定医は解離性同一性障害という診断をその診断リストに加えざるを得なかった。しかし罪を犯したときは別人格であったというその当事者の証言自体は信憑性の薄い、つまり虚偽のものであるという判断を下していた。そしてそもそもDIDは「軽度の」ものであり、犯罪には直接影響していなかったという、非常に類似した鑑定報告を提出していた。これらの事件は同時期に進行していたとはいえ、両者は互いに関係のない事例であり、鑑定医同士が相談したとも考えられない。という事は少なくとも日本の司法では、この2.がかなり主流を占めているのではないかと言わざるを得ない。