2021年9月26日日曜日

大文字の解離理論に向けて 推敲 4

現代的な精神分析理論における解離
 さて1980年代ごろから米国では解離に関する関心が再び高まったが、これらは本来は精神分析のコミュニティの外部で議論されていたことであった。ただし精神分析においても盛んに解離を論じたのが、ドネル・スターンとフィリップ・ブロンバーグであった。
 スターンの基本的な姿勢は、やはり解離を防衛としてとらえるというものであった。彼は以下のように述べている。「解離はトラウマに関する文献で様々に概念化されているが、解離についての理論は人生における出来事が耐えがたい時の自己防衛のプロセスという概念をめぐっている (Stern, 2009, p. 653)。」彼の言うように、いろいろな個人差はあるとしても、解離の理論は防衛モデルとして描くことが出来るのは確かであろう。
 ブロンバーグはスターンの考え方に歩調を合わせ、トラウマの問題は人の心にとって決定的な重要性を持ち、そこでは解離は極めて重要な役割を持つとした。彼によればトラウマは発達段階のどの段階でも常に生じている。彼はハリー・スタック・サリバンの教えに大きな影響を受けつつ次のように言う。「解離は極めて共存不可能な感情や知覚が同じ関係の中で認知的に処理されなくてはならない時に生じる。」(Bromberg, 1994, p. 520).
 ブロンバーグが明言しているのは、葛藤という概念は神経症的な人にとっては重要だが、解離的な患者は、それを持つことがないことが問題なのだということだ。しかし彼は解離が抑圧のないところで起きるとは考えていない。彼によれば、トラウマにより、サリバンの言う「ノット・ミー not me 」の部分が大きくなり、「安全であっても安全であり過ぎないような環境」(2012, p. 17),において、「ノット・ミー」の部分はシステムに統合されるというのだ。ブロンバーグの業績は、エナクトメントを解離の文脈に持ち込んだことであり、それにより精神分析的な分野における解離の理解の幅が広がった。
 エナクトメントを通して、解離されたものは体験されて自己に統合される。治療関係において、治療者は患者によりエナクトされた部分を体験すると同時に、治療者により解離されてエナクトされたものは患者により体験される。このように基本的にブロンバーグは解離を対人関係的な現象であるととらえる(Bromberg, 1996)。しかしこの理論が依然として前提としているのは、解離されたものはその人の心の中のどこかに存在するということだ。解離された部分は「象徴化されていないその人の自己の部分」が投影のようなメカニズムにより他者に伝わるというのだ。別言するならば、ブロンバーグの解離の対人モデルは、やはりヴァンデアハートのタイプ1)に属することになる。
 それに対して最近「解離的な転回 dissociative turn 」を訴えるエリザベス・ハウエルやシェルドン・イスコヴィッチは、新たな地平に言及していると言えるだろう (Howell, Itzkowitz 2016, 2015)。彼らは二つの意識の同時的な存在を示唆しているものであり、上述のタイプ2)に属するものを想定している可能性がある。(紙数の制限の為に本稿では詳述を避ける。)