2021年9月19日日曜日

それでいいのか、アメリカ人 20

 このまま書いていっていいのか。

さて私のブログは常に試行錯誤である。というよりは下書きである。今20回ほど続いているのは「これでいいのかアメリカ人」(仮題)という本の下書きである。ただしこの本はまだバーチャルである。書けるかどうかをここで試しているわけだ。私の計算から言うと、新書でそれなりのボリュームのある量を書くためには、10万字、原稿用紙で250枚程度は必要だ。ここで毎回書いている文章を1700字くらいだとすると、60回分で一応完成という事になる。まだ20回だから、本で書く量の三分の一を書いたことになる。ここで問題がある。

一つにはこんな内容で本にしていいのか? という疑問だ。私はほとんど一筆書きのように、一回を30分くらいで書いて見直しをしていない。ごく軽い内容になっている。でも誰でも思いつきそうな、特別興味深い話を書いているという実感はない。すると果たしてこれを読む人がいるのか、という疑問が自分自身にも生じる。

「死について」というテーマなら全く違ったと思う。私はなるべく濃い内容のものをゆっくり時間をかけて書こうとするだろう。その様な本を出すことには大きな意味を感じる。しかし「これでいいのか、アメリカ人」は私がどうしても書きたい内容ではない。ただしありがたくもその様なオファーを戴いているから試し書きをしているのである。でもそれを仕上げるにはそれなりのエネルギーが必要だし、時間もとられる。その時間を使って他のことをやりたいという気もする。

という事であとは編集者に見てもらうことになる。「こんな感じでいいんじゃないですか?」かも知れないし「これじゃちょっとモノになりませんね。」それによってこの「これでいいのかアメリカ人」が継続されるのかどうかが決まるのだ。

私が書いていて思うのは、週刊誌の連載物だ。売れっ子作家の連載物のエッセイなどは何百回も続いているものが多い。明らかにネタは尽きていて、それでも無理やり絞り出しているのが読んでいてわかる。内容が薄いし、その分読みやすい。売れっ子作家だと何本も連載を抱えていたりして、それこそ一本に費やす時間はわずかだろうし、そのために資料を集めたり、取材に出かけたりという事はないだろう。私の30分と同じである。もちろん技量の差は歴然であろうが、なぜもっと時間を掛けないかと言えば、私の場合はそれ以上に時間をかけてもその内容が特別重くなるようなテーマではないからである。という事で、事情によってはこの連載はパタッと止まるかもしれない。そうなったらそのような事情が背景にあることになる。