2021年8月30日月曜日

死について 2

 死に一歩近い日本人

2014年のサッカーワールドカップブラジル大会。日本対コートジボワール戦が開催された614日、現地観戦した日本人のサポーターが、試合後に会場のごみ拾いをし、諸外国の称賛を浴びたという。アメリカのケーブルテレビ局は「試合に勝ったのはコートジボワールだったが、観戦のマナーで大勝利を収めたのは日本だった」と絶賛。
 何で日本人はこうなのだろう?財布を落としても、中身ごと戻ってくるのがふつうである社会。私は個人的には普通のことだと思うが、実際に他にこんな国のことを聞かないとしたら、やはり変わっているのだろう。
 こんな話を始めたからと言って、これがどう死生観とつながっているのか、読者は訝しく思うかもしれない。ではここに一本の補助線を引いてみる。武士道精神だ。
 勝っても負けてもフェアな精神でそれを受け入れる。敵を称賛し、味方も慰労する、という態度である。私の中ではこれは武士道精神と結びつく。新渡戸稲造は、日本の精神が武士道で説明できないものはないとか言ったそうだが、確かに日本で美徳と思われている事柄は、武士道にもうたわれている。
 もちろん日本の専売特許というわけではなく西洋でも騎士道 Chivalry があった。(ただし騎士道は、それが理想とされてもどこまで遵守されたかはいっそう不明であろう。最後にはレディファーストくらいしでしか形が残っていない感じだ。)
 そして昨日触れたいわば武士道のバイブルとも形容されるような「葉隠れ」には、冒頭から死生観が語られている。新渡戸はそのBushidoの中で、武士道の由来は禅であるとしたうえで、その武士道の精神を次のようにまとめる。「それは運命を冷静に受け止め、避けられぬことに静かに服し、危険や悲惨な出来事に対して禁欲的に心を安定させ、生を軽蔑し、死を身近に感じることである。」そして「葉隠れ」を愛読書としていたとされるが三島由紀夫がそれを象徴するような形で起こした割腹自殺。やはりつながっている気がする。
 もちろん日本人は、あるいは日本文化は死を恐れないなどという事は決してない。しかし自殺を自己犠牲の究極の形として考えるのであれば、自分の利益を優先する傾向の少ない日本人がそれだけ死に近い位置にあるという考え方はさほど間違ってもいないかも知れない。それに諸外国の間ではかなり高い自殺率(東欧諸国をのぞいたら先進国で一位である)。(1.リトアニア 42.1 2. 2.ロシア 38.7  3. ベラルーシ 35.1 4. カザフスタン 28.8 5. スロベニア 28.1 6. ハンガリー 27.7 7. エストニア 27.3 8. ウクライナ 26.1 9. ラトビア 26.0 10. 日本 23.8
 ここで誤解も曲解も受けないような表現を取るとしたら、表題のようになる。