Bromberg による解離に関連したエナクトメントの概念
Stern の考え方に沿って、Bromberg はトラウマの問題は人の心にとって決定的な重要性を持ち、そこでは解離は極めて重要な役割を持つ。Bromberg によれば、トラウマは発達段階のどの段階でも常に生じている。彼はSullivan の教えに大きな影響を受けつつ次のように言う。「解離は極めて共存不可能な感情や知覚が同じ関係の中で認知的に処理されなくてはならない時に生じる。」(Bromberg, 1994, p. 520).
Bromberg が明言しているのは、葛藤という概念は神経症的な人にとっては重要な概念であるが、解離的な患者は、それを持つことがないことが問題なのだということだ。しかし彼は解離が抑圧のないところで起きるとは考えていない。彼によれば、トラウマにより、Sullivan のいうnot me の部分が大きくなり、「安全であっても安全であり過ぎないような環境」(2012, p. 17),において、私でないパートはシステムに統合されるというのだ。Bromberg の業績は、エナクトメントを解離の文脈に持ち込んだことであり、それにより精神分析的な分野における解離の理解の幅が広がった。
エナクトメントを通して、解離されたものは体験されて自己に統合される。治療関係において、治療者は患者によりエナクトされた部分を体験すると同時に、治療者により解離されてエナクトされたものは患者により体験される。基本的にBromberg は解離を対人関係的な現象であるととらえる(Bromberg, 1996)。
しかしこの理論が依然として前提としているのは、解離されたものはその人の心の中のどこかに存在するということだ。解離された部分は「象徴化されていないその人の自己の部分」が投影のようなメカニズムにより他者に伝わるというのだ。別言するならば、Bromberg の解離の対人モデルは、van der Hart のタイプ(1)ということになる。
しかし Bromberg はそれぞれのパーソナリティの独自性を尊重し、「解離された声に対して、それを時期尚早に統合を勧めるのではなく、非連続的であっても自己の個人的に真正な表現としてかかわること」(Bromberg, 1998, p.199)という態度を促進する。この提言は van der Hart’s type (2)に相当するのである。このようにBromberg の態度は文脈によってはタイプ(1)と(2)に該当し、これもまたスペクトラム的な見方を進めることになる。