2021年6月12日土曜日

オンラインと精神療法 3

 改めて書き直し。

オンラインによる精神分析的な治療がどの程度可能かについて考察するが、このテーマにはいくつかの問題が含まれていると考える。
 一つはオンラインによる治療が従来行われてきた精神分析の実践の質をどの程度保証できるのか、果たしてそれは同等のレベルにあるものとして扱われるべきなのか、それとも質の劣る代替手段 poor substituteなのか、あるいはそもそも代替手段とはなりえないのか、という問題である。
 もう一つはオンライン・セッションのように、従来私たちが考えている週4回以上、寝椅子を用いるという治療形態以外の治療構造において行われるセッションを、今後どの程度精神分析の訓練の一環として用いることができるのか、という問題である。こちらの方はもちろんオンライン・セッション以外の治療形態についてもその考察の対象とすべき問題である。フロイトが始めた週6回の寝椅子を用いた精神分析はその後それに変更を加えようとする様々な試みがなされた。それらは電話を用いたセッション、メールを用いたセッション、一日複数回のセッション、週末だけに固めたセッション、いわゆるシャトルアナリシスなどであり、これを訓練の一環としてどの程度認めるのかはこれまでもたくさん議論されてきたことである。ただこの問題はとてもすそ野が広いテーマなので今日は特に論じる予定はない。
  最初に用語の問題であるが、電話やインターネットを用いた精神分析的な試みは様々な名称で呼ばれ、議論されてきている。これまでTechnology-assisted analysis, remote psychoanalytic work, teleanalysis, etc.などの用語が用いられてきた。私はインターネットを用いたセッションをオンライン・セッション、略してOSと表現させていただく。また治療者と非治療者のことを簡便に、セラピストとクライエント、という呼び方にとどめておく。なぜならオンラインでアナリスト、アナリザンドという言い方を用いると、これが精神分析の一つの形式として用いられることを前提としているかの印象を与えるかもしれないからだ。