2021年6月9日水曜日

オンラインと精神療法 2

  2の問題、すなわちフロイトの週4回以上、寝椅子を用いるという形態以外のセッションがどの程度「分析的」か、どの程度スタンダードに見合ったものとするかという問題についてはどうだろうか。これは精神分析の本質的な問題にかかわることというよりは、いかに訓練を平等に、均一に行うかという問題に関連しているように思う。精神分析がある標準的な構造をもち、分析家のトレーニングで何を要求されるかが決まれば、それに従わないやり方を認めるかどうかは当然問題にされる。その際に参考となるのが、いわゆるテレアナリシスをどのように認めるかという問題であろう。

この問題に関しては恐らく様々な見解が出されているであろう。最近の文献で目についてものを読んでみても、「テレアナリシス」は時には大きな効果を及ぼす、という事が書いてある。Ehrlich, LT (2019) Teleanalysis: Slippery Slope or Rich Opportunity?Journal of the American Psychoanalytic Association, 67(2):249-279.

さて私の体験をだいたい書いたので、参考文献として以下のものを読んでみる。

Lucio Gutiérrez (2016) Silicon in ‘pure gold’? Theoretical contributions and observations on teleanalysis by videoconference. Int.J. Psychoanal. 98:1097-1120.

 

科学技術の発展とともに、様々な分析の携帯が可能になった。オンラインチャッティング、text messaging, videoconference, など。それを共時的synchronic(オンラインチャッティングなど、リアルタイムなもの)と通時的diachronic email, 文通など)という風に分類するようである。そこでは身体的な遠隔存在 bodily telepresence が成立しているという。これを Zhao はこのように定義する。A form of human colocation in which both individuals are present in person at their local sites, but they are located in each other’s electronic proximity rather than physical proximity. Although positioned outside the range of each other’s naked sense perception, the individuals are within immediate reach of each other through an electronic communications network (Ahao, 2003, p.447)

これは人間の一種の同時的存在であり、それぞれが別々の場所に降り、身体的な意味での近接関係physical proximityの代わりに、電子的な意味での近接関係electronic proximityにある。彼らはそれぞれの肉眼で見える距離の外にあるがoutside the range of each other’s naked sense of perception、それでも電子的な通信ネットワークにより互いにすぐ傍にいるwithin immediate reach of each other。まず1960年代から、電話による分析の問題は存在していたという。そして様々な議論はあっても結論は出ないという事がずっと続いていたという。