2021年4月3日土曜日

エッセイの書き直し 推敲 1

 パーソナリティ障害とCPTSDについて考える

私は複雑性PTSD(以下CPTSDと表記)という概念にはそれなりに思い入れがある。この概念は1992年に米国の精神科医ジューディス・ハーマンがその著書 Trauma and Recovery (Herman, 1992, 邦訳「トラウマと回復」)の中で打ち出したのであるが、そのころ米国のメニンガークリニックの精神科レジデントだった私は、この著書が周囲の臨床家にかなり好意的に迎えられたことを記憶している。その後実際にハーマンや同じボストンで活躍する盟友であるバンデアコークの実際の講演を聞き、彼女たちの熱い思いを感じたものだ。
 それ以来DSMICDなどの国際的な精神疾患の診断基準が改訂されるたび、CPTSDやそれと類縁の概念であるDESNOSDisorder of Extreme Stress, not otherwise Specified;ほかに分類されない極度のストレス障害、ヴァンデアコークらにより提唱される)が正式に採用されることを期待したが、失望に終わっていた。そして今回ようやく今回ICD-11
 にこれが所収される運びとなった。私はこのことをとてもうれしく思う。
 私はCPTSDDESNOSも、そしてそれ以外のいかなる診断名も、それが単なるラベリングであるという事はわきまえているつもりである。それは患者個人の個別性を規定するものでは決してない。しかしその上で言えば、CPTSDというラベリングはある一群の人々の持つ特徴を表す際に非常に有用であるように思う。そしてそれは私が特に臨床現場で解離性障害を持つ方々に出会うことが多いという事が関係しているかもしれない。
 さてその上でCPTSDとパーソナリティとの関係について考えるというのが私に与えられたテーマであるが、このテーマに関しては以下に述べる少しこみいった事情がある。

端的な言い方をしよう。ハーマンのこのCPTSDの概念には、初めからフェミニスト的なスピンがかかっていたのである。一般にトラウマ論者はフェミニズムに関心を寄せる傾向があるのは、多くの性被害に遭われた方がその治療の対象となることを考えれば納得がいくことである。そして彼女の場合はそれを精神医学の歴史において従来差別の対象とされてきた「ヒステリー」の患者さんたちへの思いをこのCPTSDの概念に重ねているのだ。ちなみにフロイトはヒステリーを治療の俎上に載せたという功績はあるが、トラウマ理論をどちらかといえば否定するような理論を打ち立てたという意味ではフェミニストたちの中にはフロイトに対して賛否が分かれているという事情がある。

Webster, Denise C., and Erin C. Dunn (2005Feminist Perspectives on Trauma. in Women & Therapy. The Haworth Press, Inc. 28111-142

資料によると、もともとハーマンはフェミニスト運動を始める前は、反戦運動や公民権運動に身を投じていたという。その意味では筋金入りだったのだ。そして精神科医になるための研修をする中で、彼女はある事実に突き当たったという。それはそれまで非常にまれだと報告されている女性の性被害(女性の僅か1%しか性的虐待を受けていない、など)の犠牲者を、精神科の患者の中になぜか非常に多く見出すという事実だった。彼女は1986年の研究で、190名の女性の精神科患者を調査し、三分の一の患者が身体的、性的な虐待を受けていたと発表した。
 以上の経緯でハーマンは1992年に「心的外傷と回復」を書くに至ったわけだ。しかし彼女の口調や物腰は柔らかく、フェミニストではない人たちを遠ざけることなく、フェミニズムに焦点づけられていたと言われる(Webster, 2005)。

さてハーマンがCPTSDとして具体的に想定している一群の患者が従来「ヒステリー」と呼ばれてきた人たちであると述べたが、ヒステリーという概念は過去の遺物という印象を持つかもしれない。実際にそれが精神医学の表舞台から消えるきっかけになったのが1980年に発刊されたDSM-IIIであった。しかし私が精神科医になった1980年代の前半には、ヒステリーはまだ日本の精神科の教科書に普通に載っていた。それは例えば「解離性ヒステリー」「転換性ヒステリー」という二つに分類されていたのである。これは伝統的な分類に従ったものだった。
 ハーマンは従来のヒステリーは、解離性同一性障害(従来の多重人格障害、以下DID)、身体化障害(以下、SD)そして境界パーソナリティ障害(以下、BPD)を含んでいたという。この主張の大きな特徴は、ここにBPDを含めていることである。それがなぜユニークなのかを説明しよう。

先ほどヒステリーが精神医学の表舞台から消えるきっかけになったのがDSM-IIIであったと述べたが、そこでは従来のヒステリー神経症という表現を()つきで残しながらも、「解離性障害dissociative disorder」(従来のヒステリー神経症、解離タイプ)と「身体表現性障害 somatoform disorder」(従来のヒステリー神経症、転換タイプ)に分けていた。つまり伝統的な分類の形を残したのである。だからハーマンがヒステリーの代表としてDIDSDを挙げるのにはそれなりの根拠があったわけだ。しかしそこにBPDを含めることには、違和感を覚える人がいてもおかしくない。