2021年3月9日火曜日

CPTSDのエッセイ 7

 杉山節を読んでいく。彼はDIDの人たちには「簡易版自我状態療法」を行うというが、それは私が「心の地下室」と呼んで行っているものと近い。まずは安全な場所、例えば地下室、公園の緑の芝生などを想像してもらい、そこに小さな家をイメージしてもらう。その中には小さな部屋がいくつもあり、またそこに好きなものを持ち込んでいい。そしてそこで「みんな集まれ」と「パーツ」に集まってもらう。出てこない人がいればそれでもいい。名前を確認し、それから心理教育を行う。皆が大事であることを告げ、それぞれが辛い記憶を持って生まれたことを伝える。そしてみな平和共存することが大事であるとも伝える。そしてそれぞれに「簡易処理法」を行うが、まずは小さい子供を優先するという。そこには交互の身体部分のタッピングが主たるアプローチとなる。

杉山先生が言っているのは、「全パーツの記憶がつながれば、人格の統合は必要ない」ということだ。そして彼が言うには、これを実際にやってみると、必要なのは最初の45セッションであり、それからあとは皆で話し合ってね、とクライエントに任せてしまうという。杉山先生は少し極端でprovocative な言い方をなさるが、真意は「患者さんの役に立つことをすべし。害になるようなことはすべきでない」という極めてまっとうな議論である。良いものは取り入れ、よくないものはたとえどこかの学界でお墨付きが得られているものでもばっさばっさと切っていく。気持ちがいいのである。