ホフマンのこの後の記述は、自分の子供が不治の病に侵された人々の記録である。そこで重要なことが書いてある(P.107)。多くの両親は子供たちの死と折り合いをつける中で、自分たち自身の死すべき運命への気づきを高め、目前のものを味わって感謝し、現在をより十全に生きる営みとなった。そしてそれにより人々への共感性が増した(p.108)というのである。
ホフマンは死にまつわる無限の概念は、単なる数学的で知的な考えではなく、すべての抽象的な思考に含まれる前意識的な因子であるというメルロー=ポンティの説を引用する。人が言葉や象徴機能を用いて自意識を獲得したのち、死すべき運命を受け入れてそれと共に生きていくのは人間としてより成熟することを意味するのであろう。
ホフマンの論考のまとめにずいぶん時間を費やしてきたが、結局死生論についての識者の主張をまとめようとしても、あまりにもさまざまな見解が錯綜していて、私自身の主張をまとめる上ではかえって余計なような気がしてきた。そろそろ本文の執筆を進めるという仕事に戻ることにする。