2020年11月19日木曜日

揺らぎのエッセイ 10

 今日はとても忙しくてほとんど書く暇がないが、ここまででボトムアップという脳の性質と心のフラクタル性は少しは説明できているであろうか。生命体が人間のように複雑なシステムにまで進化する際、一切神の手は存在しなかったはずだ。人はひとりでに進化してきたのである。そしてそのプロセスは常にボトムアップ、つまり原初的なそれからの進化である。そしてたとえそれが一つの神経細胞から始まったとはいえ、進化を遂げた後の1000億の神経細胞の一つを取り出しても、その複雑さは変わりない。そしてそれが独自の活動をしていることは確かだ。そしてそのことは神経細胞がいくつか集合したもの、例えば大脳皮質の100個ほどの神経細胞からなるマイクロコラムにおいても同じである。

さてそのレベルでの神経細胞の集合も、その全体として行っているのはダーウィン的な競争である。例えば一つの神経細胞の全体の活動はランダムウォークだ。そしてそれが100個つながるマイクロコラムでは、それぞれの神経細胞はある程度歩調をわせるが、マイクロコラム全体の動き方は、またしてもランダムウォーク。こうしてレベルが上がるにつれて、下のレベルは隣のグループと一緒に活動をする傾向にあるが、その全体は結局はダーウィン的になる。つまりサイコロが集合すると、それ全体がまた一つのサイコロになる。そして最終的には脳全体が一つのサイコロになる。これが中枢神経系のフラクタル構造といえるのだ。(この「サイコロが集まると、一つの大きなサイコロになる」という比喩は悪くないな。)

それに比べるとフロイトの想定した心は多分にコンピューター的ということになる。それはトップダウンであり、神経細胞一つ一つの行動はランダム的ではなく、上から統制されている。PCにおける最小単位はオン、オフの回路でしかない。いわばピクセルになってしまう。ところが神経細胞はそれが単体で生きていて、遊離すれば理想な環境においては独り歩きしかねないのだ。(15分しかなかったが結構書けた。)