2020年10月15日木曜日

治療論 推敲の推敲 6

 総合考察

私はこの論文で、Izkowich が「解離的転回」としてアウトラインを示したものについての総合的な考察を行った。そしてこの問題は精神分析の誕生の時期以前にまでさかのぼることを示し、そのために解離の問題を扱うためには、精神分析的な心の捉え方にある種の「転回」が必然であるという点を示した。Freud はそのキャリアーの最初に Breuer  を介して人格のスプリッティングに出会い、それに影響を受けつつ、一元的な心の在り方を選んだ。いわばモノサイキズムの選択であった。当時の Freud にとって、ポリサイキズムとモノサイキズムの両立は受け入れ難かったのである。そしてそれにより精神分析の繁栄がもたらされた。しかし臨床において多重人格を示す患者に出会った分析家の中には、Ramle-de Groot のように多重的な心こそ人間の心の本来ある姿と考える者もあらわれた。

実はFreud 自身もこの多重心を気にしていて、はるか後になってこんなことを述べている。

離人症の問題は「二重意識」、より正確には「スプリットパーソナリティ」と呼ぶべき驚くべき状態につながる。しかしこれに関するすべてはあまりに不明でほとんど科学的に解明されていないため、これについて私はこれ以上言及するべきでない。

Depersonalization leads us on to the extraordinary condition of “double conscience”, which is more correctly described as “split personality.”But all of this is so obscure and has been so little mastered scientifically that I must refrain from talkimg about it any more to you. (Freud, 1936, p.245)

 しかし今やFreudが言及しなかったこの問題に立ち返らなくてはならないのだ。他方ただし今の時代で二者選択を迫る必要はない。しかし大事なのはBromberg も提唱するような柔軟性であり、どちらにも偏らず、臨床的な文脈の中で立場を決めていくことであろうそれが「転回」の一つの在り方なのである。
 ということで最後にPhillip Bromberg さんの言葉。

現代の精神分析においては人間の心と無意識的な心の過程に関する精神分析的な理解に関する明らかなシフトが生じている。それは意識・前意識・無意識の区別そのものから、自己が脱中心化されたものであり、心が推移する非線形的で不連続的な意識状態が単一の自己という健康的な幻想との間断なき弁証法にあるものとしての心という見方へのシフトなのである(岡野訳)。

Bromberg, standing in the spaces 270 a  noticeable shift has been taking place with regard to psychoanalytic understanding of the human mind and the nature of unconscious mental process- away from the idea of a conscious/preconscious/unconscious distinction per se toward a view of the self as decentered, and the mind as a configuration of shifting,nonlinear ,discontinuous states of consciousnesss in an ongoing dialectic, with the healthy illusion of unitary selfhood.