2020年10月10日土曜日

治療論 推敲の推敲 3

 

結局私たちがこの「多重で不連続的な意識の中心」という考え方が迫る転回は人の心を一つの意識の中心としてとらえるか、それとも複数かという二者択一的な選択をすることなく、文脈に応じてそのどちらに対しても対応できるような準備をしておくことであろう。その意味でmonothetic view 単元的な視点と polythetic view 複元的な視点の間のスペクトラムと考えることも出来るだろう。Itzkowitz は解離性障害についてのラウンドテーブルディスカッションで、このような様々な程度の解離について触れ、小文字の解離 dissociation と大文字の解離 Dissociation との両方を視野に入れなくてはならないとする。 mentioned in the Roundtable discussion presented above, where he suggested a variety of dissociation and suggested as follows. I think we have to think in terms of “big D” for big dissociation and “little d” for little dissociation (Itzkowitz, Chefetz et al, 2015, p.42).

目の前の患者が一つの心を持っているのか複数の心を持っているのかという問題意識は後に述べる治療論にも大きく関連する。心が一つであるという前提であれば、断片化されている心を統合することが治療の目標となろう。他方ではTzkowitz は「治療の目的はお互いを知ることであり、統合ではない」としている。”the goal of the working through process is not necessarily the consolidation of self-states into a single, integrated individual …  [But to help] the person understand and negotiate meaningful forms of relatedness with these heretofore unknown parts of herself. A sense of unity or wholeness, even if illusory…..P147)このいずれにも偏らない治療論については後に述べたい。

 

トラウマの現実性について

Izkowitz の示唆したこの第二点目も精神分析的な視点の重要な転回を要請するだろう。Freud の精神分析が全盛期の前半に世界的に広まり、受容されることとなった背景には、その出発点における性的誘惑説の棄却とファンタジーの重視が大きく関係した可能性を否定できない。ここでトラウマの実在性を重視することは精神分析全体の視座を根底から揺さぶりかねないだろう。伝統的な精神分析にとって根幹となるエディプス・コンプレックスでさえすぐにでも容易に脱構築されることになるとする(Izkowitz)。Even Freud’s most influential theories- for example, the Opedipus complex - can readily and easily be deconstructed in terms of the underlying motifs of the most heinous type of child abuse; infanticide, murder. (p8)

ただしその際に一つの視点として重要なのは、トラウマの現実性とファンタジーとしてのあり方の間には明確な区別や違いを見出すことが出来ないようなケースも多く、また両者の共存もありうるということである。Freud 自身も「症例ドラ」(1905) のように、実際の性的被害が見られる症例についても記載を行っている。すなわち「転回」が指し示しているのは、ファンタジーから現実への方向転換というよりは、トラウマが有するファンタジーと現実性の両義的なあり方を認めることになろう。