2020年9月12日土曜日

論文作成とブレインストーミング 8

 攻撃性の由来と所在

解離的な転回が論じるべきものとして重要なのは、攻撃性のありかをどのように考えるかである。転回において要請されるのは、クライエントの示す攻撃性をよりトラウマ理論に沿った、外来のものとしてとらえるという視点を促す。Howell, Izko先生その他の論者が言うとおり、解離性障害についての分析的理解は、トラウマ理論と手を取り合いながら発展してきた。そしてそれはフロイトがトラウマを軽視したことから生まれた伝統的な精神分析理論とは対をなしている。そしてそれは具体的にはDIDにおける人格が示す攻撃性をどのようにとらえるかという点に比較的典型的に表れるといってよい。

 攻撃者との同一化 (IWA, identification with the aggressor) について特に深い理解を示したのはフェレンツィである。彼の攻撃者との同一化は非常に示唆に富んでいる。フェレンチはその中で攻撃者と相対した患者があたかもその攻撃者に同一化する形でその願望を自分の願望のように感じ取る様子が描かれている。ただし彼のいう攻撃者との同一化に関しては、それは攻撃者の模倣ではなく、その意味で攻撃者との同一化とフェレンチが呼んだのかは疑問がある(Frankel2002 105)これは今回彼の論文、およびHowell さん、Frankelさんのこの論文に関する解説を読んで思ったことだが、フェレンチは本当の意味での攻撃者との同一化のことを書いていない。彼は攻撃者に同一化して自分を傷つける部分について書いているにすぎないのだ。

Frankel, J. (2002).  Exploring Ferenczi's concept of identification with the aggressor: Its role in trauma, everyday life, and the therapeutic relationship. Psychoanalytic Dialogues, 12(1), 101–139.

Howell, E (2014) Ferenczi’s Concept of Identification with The Aggressor: Understanding Dissociative Structure with Interacting Victim and Abuser Self-States. The American Journal of Psychoanalysis 74(1):48-59.

 しばしばこれとの混同への注意が呼びかけられているアンナ・フロイトの「攻撃者との同一化」との比較が論じられる。こちらこそもう一つの論じられるべき「攻撃者との同一化」、だからである。フェレンチが論じなかった攻撃者との同一化を明確化することが転回に求められる一つの理由は、それが彼女たちが外に対して示す攻撃性をどこに位置付けるかという最大の問題にかかってくるからである。彼女たちは自分に向けて攻撃的になる(自傷行為を行う)だけではもちろんない。他者に対してもそうである。このことにフェレンチは戸惑っていたのではないか。だからこそ彼もこの第二のメカニズムが生じる仕組みについて私は知らない、とまで言っているのである。