2020年7月4日土曜日

解離と他者性 書き直し 6


ミラーニューロンの失調とは?
ミラーニューロンの失調についての話の前に、まずは基本的な前提から始めよう。AさんがBさんに微笑みかけたとする。ここでAさんの微笑みかける体験と、Bさんの微笑みかけられる体験は本来別々のものだ。それを見ている誰かは、それらが別々の体験であり、AさんとBさんのどちらに注意を向けるかにより、一度にそのどちらかしか疑似体験されないであろう。それぞれにかかわるミラーニューロンは基本的には別個なもののはずだ。
ところがもちろん話はこれで終わらない。おそらく観察者Aさんに微笑みかけられたBさんはAさんに微笑み返すという流れだろう。つまり微笑むという行動の受動態と能動態とが連続して一つの流れを構成しているのを見ることになるが、そのままではやはり、二つの異なる行動の連続でしかないはずだ。
しかしこれを実際に体験しているBさんの心の中では、この二つの行動は緊密に結びついていることになろう。そもそもBさんが微笑みかけられたという受動体験の後に微笑み返すという能動体験を持つのは偶然の産物であろうか。そうではないだろう。微笑みかけられた人は、必ずと言っていいほど微笑み返すのだ。人と人との会話を観察していると、この現象が実に顕著にみられることが分かるだろう。微笑みかけは、ほぼ自動的に微笑み返しにつながる。相手の行為をまねすることが、相手に対する能動的な働きかけになるとは、実にうまくできていることになる。そしてこれは、優しさはどのように伝わるか、ということを最も直接的に例示しているといえる。母親の顔の優しさが、子の顔の表情のミラーニューロンによるコピーにより優しさの表情を作らせ、それにより優しさの感情を生む。ミラーニューロンを介して感情が写し取られ、投げ返されるのである。
ここでもう少しわかりやすく、Aさん=母親、Bさん=赤ん坊、という事にしよう。赤ちゃんの中で母親に微笑みかけられるという体験は、ミラーニューロンを介して微笑み返すという行動に先立ち、微笑みかけられたときにおそらく同時に体験するであろう優しい声のトーン、なぜられるという感覚、温もりとセットになっているだろう。微笑みかけられるという受動態の体験の模倣が、微笑み返すという能動態と一致し、そこに必然的に心地よさや安心感を伴うことで促進される、というのが、母子のコミュニケーションの出発点であろう。そしてここでは、微笑む、微笑みかけられる、という二つの行為のミラーニューロンシステムは同時に賦活化されているはずだ。あるいは二つが交互に活性化されるという形をとるのかもしれない。このようにしてやり取り一般は一つの行動の受動態と能動態のミラーニューロンシステムが同時に、ないしは交互に賦活すされるという形態をとるのであろう。
そこで次に子供が母親から激しく叩かれるという体験はどうだろうか。(ここで赤ん坊から子供、に変えたのは、ここで論じる解離の機制がどの程度乳児の段階で成立するかが明確ではないからだ。)
この場合は、前部帯状回が扁桃核及び情動に関する脳の部位を抑制するということが起きるというのは、最近の生物学的な研究が示すところだ。そうすることで心はあたかも麻酔をかけられた状態(つまり解離状態)でその体験をやり過ごし、ミラーニューロンは活動しないことで、追体験できないことになるのかもしれない。
この種の体験が体外離脱体験などの形をとる場合があることは数多くの記載がある。叩かれて痛いはずの自分が何も感じない、つまり叩かれるという受動的な体験に伴う痛覚や触覚的な入力がない場合、自分自身を受動態での体験者と見なすことが出来ずに、そのような主体を新たに創造し、自分はそれを外部から見るという位置に置くのであろう。それが体外離脱体験ではないか。
更にもう一段階深刻な体験として起こり得るのは、叩くという能動態のミラーニューロンシステムが作動するという場合である。叩かれるという受動的な体験を持っているにもかかわらず、自分は何も感じないという体験が、叩いているのは自分だという体験へとすり替わる。まとめると
叩かれるという体験マイナス身体感覚 = 体外離脱体験
叩かれるという体験マイナス身体感覚 + 叩くという体験の賦活 = 攻撃者への同一化
という事だ。