このミラーニューロンの理論が重要なのは、それが私たちが通常持つ能動性、自分は自分であるという感覚がこのミラーニューロンのシステムを介して成立しているという可能性を示唆していることだ。例えば自分が自分で行動しているという感覚は、自分が自主的に動かした手足がそれがかかわっている対象物とのやり取りを介しての感覚入力を伴うことで完結する。
この問題について少し付け加えて説明するならば、例えばある行動を行っている時と、隣人がそれを行っている時には、おなじMNが興奮を示すことになるが、自分が行っている時には特定のニューロンが抑制されることで、両者に差異を設けている。それによりその行動を自分が行っているのか、他者のものなのかの区別がつき、それはある意味では自他の区別がMNSを介して自動的に体験されるということを意味する。
そしてそれはまたこのMNSの不具合が複数の人格の存在をある程度説明してくれる可能性があるからである。
MNSが人間の持つ模倣の能力と深くかかわっていることについてはいくつかの考察がある。(Meltzoff, 日本では明和など)霊長類の中でも模倣を得意とするもの(オランウータンなど)とそうでないもの(チンパンジーなど)があるが、人間の模倣能力はずば抜けて高く、それが私たちの社会的なコミュニケーションの能力の高さと深く関係していると考えられる。ミラーニューロンの働きに関する基本的な理解と前提に基づいた思考実験を始める。
たとえばAさんがBさんに微笑みかけたとする。Bさんとしては微笑みかけられたという体験になる。ここでAさんの微笑みかける体験と、Bさんの微笑みかけられる体験は本来別々のものだ。しかしおそらくAさんに微笑みかけられたBさんはAさんに微笑み返すであろう。そしてそれは双方向性という点で、単なる模倣と異なる行動と言える。そして体験したBさんの心の中では、微笑みかけられるという体験と微笑みかけるという体験の二つは一つの体験の受動態と能動態の連続、という以上に緊密に結びついていることになろう。またこれらが連続して生じるのは偶然の産物ではない。微笑みかけられた人は、必ずと言っていいほど微笑み返すのだ。人と人との会話を観察していると、この現象が実に顕著にみられることが分かるだろう。微笑みかけは、ほぼ自動的に微笑み返しにつながる。相手の行為をまねすることが、相手に対する能動的な働きかけになるとは、実にうまくできていることになる。