2020年5月11日月曜日

揺らぎ 推敲の推敲 4


揺らぎとレジリエンス
揺らぎの問題を考えるうえで必然的に行きつくテーマがレジリエンスである。このテーマについても一言述べておきたいが、それはこのテーマが比較的スムーズに柔構造の概念と結びつくからだ。
レジリエンスresilience とは柔軟性、弾力性、という日本語訳が用いられることが多いが、要するにストレスに晒されたときにそれに柔軟に対応できる能力という意味である。枝にそれを曲げようと力を加えた際に、簡単にポキッと折れてしまうのではなく、適度にたわみ、力から解放されたら再び元の形を戻すとしたら、それがレジリエンスである。(このような例からわかるとおり、レジリエンスは、ストレス stress とともに、物理学の用語だったのだ。)
このレジリエンスという考え方とともに私が示した柔構造について考えよう。基本的には柔構造はレジリエンスを備えている、と考えていいであろう。ただその場合はその際の視点は治療者側にあると言えよう。つまり治療者がいかにレジリエンスを有するか、という発想である。治療構造は単にそこにあるだけでなく、誰かによって常に維持される必要がある。そしてその責任は主として治療者の側にある。先ほど示した例で一回50分のセッションの終了時間を延ばしてほしいというクライエントの要求は、治療構造への挑戦、ないしはストレスと考えることが出来る。それは治療を時間内に終わらせるのは治療者の責任だからである。だから治療者はそれに何らかの形で対応しなくてはならない。その際レジリエンスを有する治療構造とは、患者からの要求に柔軟に対応する治療構造と言えるだろうか? 例えば5分延長してほしいという要求には5分を許容し、15分の延長を求められたら15分延長するべきだろうか。必ずしもそうとは言えないであろう。ではどのような対応がレジリエンスを発揮したものとなるのだろうか。
ここで先ほどの枝の話を例にとり、レジリエンスが発揮されなかった場合を考えよう。それは治療構造がストレスによりもろくも崩れ、壊れてしまった状態と言えよう。患者さんが5分の延長を求めたことで崩れる行動とはどのようなものだろうか。
様々な場合はあるが、ちょっと想像力を働かせていくつか具体例を考えてみよう。まずあまり仕事に慣れていない治療者が、患者さんの要求通りに5分の延長を認めるべきかどうかで判断が出来ず、判断停止になり固まってしまう場合。あるいは5分の延長を治療者が全く受け付けず、そのとりつく島のなさにクライエントが腹を立ててしまう場合。あるいは5分の延長を認めたことで、その後どうしても必要なメール対応やバスルームの使用などの時間のために次の患者とのセッションの開始が遅れ、患者さんが気分を害してしまった場合。同じく5分の延長を治療者の方がとても葛藤を持ちながらも受け入れた結果として、なぜか自己嫌悪になり、そのために大きなストレスを経験した場合。これらを一言で言えば、治療者が柔構造的な発想を持たない場合、と言えるであろう。
柔構想的な発想イコールレジリエンスの発揮、という文脈で論じたが、結局はこれは治療者側の問題に限定されるわけではない。治療者がレジリエンスを有することは、実はそれを患者と共有することで、患者がそれを取り入れることは望ましいだろう。患者が人生でこれまでに体験した様々なストレスにより、考えに柔軟性を失っている際に、それを再獲得するのは治療の一つの目標と言えるであろう。その際に患者の様々な連想やファンタジーを聞き、解釈的な関りを行うことに並行して重要なのは、治療者が柔軟でレジリエンスを発揮するということになる。柔構造的な治療構造は、ある意味では患者がそれを取り入れ、自分の中に自分なりの柔構造を作るプロセスを助けることともいえるのである。