大げさな題だが、なるべく良識的、ないしは常識的に今の状況を考えたい。今の状況はオーバーシュートか。その前夜だ、という言い方もされている。実際にオーバーシュートが起きた米国やイタリア、スペインを見ると、日本と同様の4000人強の感染者からは、3~5日ごとに数が倍増している。これから数日はオーバーシュートが同様のペースで生じるのか、という意味では大変大事な時期だろう。とはいえ今は潜伏期の人が陽性となるのを待っている状態、となると二週間前に感染した人が今数字に上がってくるというわけだ。
私が一つどうしてもわからないのは、外出をしないことが感染爆発を防ぐ決め手だというロジックである。イタリアやニューヨークではかなり早くからロックダウンが施されたのに、それが反映されているだろうか。
それともう一つ大事なのは外出を制限することで人は「三蜜」にならざるを得ないということである。「とにかく換気がよく、あるいは外気に触れるところで、一人一人が離れて過ごすこと」こそが予防策だろう。たとえばそれぞれの人が距離を置きながら外を歩くことが感染を広げるようには思えない。同様に一対一で換気の良い部屋で、マスクをしながら対話をすることが感染拡大に広がるようにも思えない。カウンセリングとか。
と、ここまで書いて、4月5日に書いた(1)を読み直すと、ほとんど同じことを言っているではないか!結局何かを書いて気を紛らわしているだけかもしれない。考えていることにはほとんど進歩がない。そこで少し違うことを書こう。
今「揺らぎと心」という本を書いているが、その内容に沿うと、感染爆発というのは、
「相転移」の一つの典型である。といっても変なことを言い出していると思われるかもしれない。相転移とは、氷から水、それから水蒸気に移る、というあれだ。でもいろいろな事柄に言える。何しろ交通渋滞だって相転移の視点から論じられるくらいだ。分子どうし、車どうしが自由に動く状態から、ある密度に達して急に塊になっていく。感染爆発も、感染者がある一定の密度まで増えると、そこから一気に広がる。そして相転移は、臨界状況では、あるちょっとしたきっかけで、いつ生じるかわからない。息を詰める思いで都内の感染者の数の推移を追っている。何しろ今はまさに臨界状況だからだ。
揺らぎ 推敲 39
現実の自由連想は実は揺らいでいた
ここからは私の実体験に沿ってお話をしよう。私はここで語っているフロイトの精神分析の考えに魅せられてそれを学びに米国に渡ったという経緯があるのである。(中略)
その当時の私の頭に、心は揺らぐもの、予測不可能なもの、という発想はほとんどなかったと言っていい。医学部の精神医学の授業でも、他学部で聴講した心理学の授業でも、心が揺らいでいること、予測不可能であることなど教えてくれなかった。自然と手に取るようになった精神分析関係の書物にも、もちろんそのようなことは書いていなかった。
すでに見てきたように、フロイトが描いていた精神分析の世界については、揺らぎといったものは問題にされなかった。しかしそれは当時の私にとっては特に大きな問題とはならなかったのはそのような事情による。精神分析理論は、むしろ表面的には揺らぎに見えるような、いい加減で予想もつかない心の動きにある確固たる法則が見られるという事を示していたのである。これは私にとってはとても心強いものであった。心の動きという一見つかみどころのないものにも一つ一つ法則や根拠があると聞いて、それに興味を示さないほうが不思議なくらいだ。
この様な考え方を心にも当てはまるとしたら、精神分析家は患者さんのちょっとした行動の意識的、無意識的な動因が何かを知ることが出来、それを理論的に導くことが出来ることになる。私はこの考えに少なくとも26歳からの数年間は夢中になったわけだが、そうなることは特に当時の教育を受けた若い精神科医が信じることとしてさほどおかしなことでなかったと思う。そしてひょっとしたら今でも精神医学や心理学を志す人々にとって、このような考え方はある程度は有効なのかもしれない。