少し書き加えた。
現実の失敗とハインリッヒ的な失敗
現実の、自然な失敗、あるいは事故については、私は個人的には次のように理解している。こちらの事故はべき乗則に従ういくつかの事象が混ざったもの、その結果として全体がべき乗則に従うかどうかが不明なものといえるのではないだろうか。例えば戦争の起き方にはべき乗側が成り立つ。地震の起き方もそうだ。森林火災もべき乗則に従う。そして自然で現実的な失敗は、これらのうちのどれかが起きてもいいことになる。人が殺し合いに巻き込まれるのも、地震に襲われるのも、山火事に巻き込まれるのも、いずれも自然な事故なのだ。
ちなみに砂山は降り積もる砂の量が倍になれば雪崩の起きる率は2.14分の一になる。地震はそのエネルギーのサイズが二倍になれば、四分の一の頻度で生じる。森林火災に関しては、焼失面積が倍になれば、それが起きる頻度は2.48分の一になるという。種 species の絶滅に関しては、その数が倍になると頻度は四分の一に、論文の引用に関しては、その数が倍になると頻度は八分の一に、戦争はその犠牲者の数が倍になると、その頻度は八分の一になるという。以上はブキャナンの「歴史は『べき乗則』で動く」の各所から拾ったものだが、それぞれ事故の種類により、少しずつ異なったべき乗則に従うことになる。