2020年4月17日金曜日

揺らぎ 推敲 47


株価は予想が出来ない、という根拠を示せば、それが揺らぎの性質をいやおうなしに有するということを私は述べているのだが、株価が原則的には予想不可能であることは、簡単な思考実験から示すことができる。ちなみに地震の際の大地の揺らぎを考えるのと違い、株価の変動については人の意志が絡んでくる分、より思考実験向きであろう。ただしここでは話をより分かりやすくするために、株価ではなく物の値段について考える。
例えば複数人の投資家(A,B,C,D,E,F・・・・)がいるとしよう。彼らがある風景画の取引をする。彼らが集まった一種の競売のような場面を想像してほしい。しかしこの競売ではいったん落札されても、別の投資家が値を吊り上げたら転売できるものとする。その意味では株の売買と同様のことが起きることになる。
さてその絵画はある有名な画家の作品で、最初はX万円という値段が付いている。さっそく投資家Aさんが「それでは安すぎるだろう」と言ってX+1万円で買おう、と言う。するとBさんが小声で「私はそれをX+2万円で買うな」とつぶやく声が聞こえた。Aさんは心の中で「しめた!」と思うかもしれない。ここですぐBさんに売れば1万円の利益が出る。でも絵を首尾よくX+1万円で落札したAさんは、ここで簡単にBさんにこの絵画を売るのを躊躇するかもしれない。というのもCさんが「じゃ、私はそれをX3万円で買う」と言い出すかもしれないからだ。そうなるとそれを売ったBさんの方が2万円の儲けになる。Bさんが自分より儲けるのを、Aさんは指をくわえてみているわけには行かない。だからAさんはその絵を売らないで様子を見ることにする。
このように競売はまだ始まったばかりだが、そこにいる数人の投資家の頭は、めまぐるしく動いていることがわかる。上に書いたのはAさんの心の描写だけだが、彼らはそれぞれその絵の値段がどのように推移するかを一生懸命予想しようとするのだ。そしてCさんは実際には「この絵は素晴らしいから、きっとこのまま値段が上がっていくだろう。しばらく様子を見ておこう。」と考えていたとする。Cさんは自分の第六感を信じることにする。そしてどうしてもその絵画を手に入れたいと心に決める。そしてほかの投資家と競って「X4万円、いや+5万円!」と買い値を釣り上げていく。
この場合Cさんはある危険な賭けをしていることになる。たとえばCさんがX20万円で最終的に絵画を手に入れたと仮定する。そのCさんにはどのような運命が待っているだろうか? 
最善のシナリオを考えよう。ここに投資家Dが現れる。「私はこの絵画を実は高く評価している。きっとこの絵の価格はこれから先も上がるだろう。ぜひX+30万円を出したい。」
Cさんは心の中でほくそ笑む。「この絵がこれ以上上がる可能性はほぼない。ここで売り逃げて10万円の利益を得よう。」Cさんは実は現金を必要としているので、残念ながらこの絵の手放し時だ、本当は持っていたいのだが・・・」などつぶやきながらDさんに絵を売却し、濡れ手に粟の10万円を持って競売場を去る。(ここで最善のシナリオを描くためには、Cさんはこの後も絵が高騰を続け、最後にはX+100万円台で取引されるようになったことは一切知らないほうがいいだろう・・・・。)
しかし以下のような最悪の場合だって考えられる。CさんがX20万円で絵画を手に入れた途端、ほかの投資家がそっぽを向いてしまうのだ。たとえばEさんがこんなことを言い出すかもしれない。
「でもよく見たらこの絵、安っぽくないか? X万円でさえ高すぎるようにも思えてきたぞ。贋作じゃないか?」「いや本物だろうけれど、この画家が円熟する前の、まだ未熟な頃の絵だろう。X10万円くらいが相場じゃないだろうか? X20万なんてやはりどう考えても高すぎるぞ。」
こうしてCさんはだれも見向きもしないX20万円の絵画を抱えて途方に暮れるのだ。Cさんの「この絵は値上がりする」という予想自体はもし正しかったとしても、最初のX万円という値段が高すぎるのか、低すぎるのか、ということについてさえ、誰も正確な答えを知らない(というか実は最初から答えは存在しない)という展開になってしまったのである。
さてこのごく簡単な思考実験は、ある事実を示している。投資家はその絵画の値がこれから上がると思ったら買い、下がると思ったら売る、というきわめて単純な原則に従って売買をするだろう。そして上がると思う人が、下がる人より多かったら、絵画の値は上がっていく。そして絵画の値が上がったのをみて、もっと上がると思う人と下がると思う人のどちらが多いかにより、値は上がるか下がるかが決まっていく。ここまでは単純である。ところが昨日ちょっと上がったり(あるいは下がったり)した絵画の価格が、これから上がるか下がるかを誰が正確に予想できるだろうか? あるいはより正確に言えば、もう少しあがると思う人と、下がると思う人のどちらが多いかをだれが正確に予測することが出来るだろうか。それは不可能なのである。それぞれの投資家がどれほど確信を持って売買を決めるとしても、結局は価格の推移は決定できないというわけである。だから価格の予想には根拠は存在しないのだ。
この価格の予想に「根拠はない」と言い切ることに、それでも読者の中には納得が行かないかもしれない。そこでダメ押しでもう少し説明したい。仮に、たとえばある絵画の価格の予想に、ある明確な根拠があるとする。たとえばその画家が何かのコンクールで受賞した、というニュースが流れたとする。するとその絵の値が上がることを予想することには「根拠がある」と言っていいだろう。またその逆で、その絵画が贋作であるとのうわさがネットで流れたとしよう。すると誰もがその絵の値が下がることを予想する根拠を有することになる。しかし今度は、そのような根拠でひとたび生じたその絵画の値の上昇や下降は、それが行きすぎであるために揺り戻しが起きるのか、あるいはそのゆり戻しの先を見越した逆のゆり戻しが生じることで相殺されるのか、となると再び全くわからなくなるのである。どちらを予想するにしても根拠がないのだ。いや、もし根拠があるとしたら、その揺り戻しの揺り戻しの先は・・・・・。おそらくその予測不可能性は幾何級数的に増大していく。このように最初の価格のある程度の予想は可能であったとしても、そのあとの価格の推移は、たちまちのうちに予測不可能性の波に呑み込まれていくのだ。
結局ものの市場価格や株価は、いずれは尖った芯の方を下に立っている鉛筆のように、どっちに転んでもおかしくない状態になる。少し変動した後は再び、絵画の値段の推移を予想しようにも、その予想自体が一つの刺激となって値が少し上がり下がりし、それから先はまた予測不可能な状態へと戻ってくるのである。
もちろんそうは言っても投資家は沢山いるし、株価の推移を予想する投資顧問業者なる仕事も存在する。でも本当に株価の値の推移を予測できるのであれば、その有能な投資顧問業者は莫大な利益を上げてさっさと店をたたんでどこかのリゾート地に引っ込んでしまうだろう、とはよく言われる話だ。
結局株価を予想することは、未来を予想することであり、それは不可能であるというのが結論だ。何しろ予想すること自身が株価の変動を起こしてしまうからである。ただしそれでも大局を見据えることができる人が、「これからはわが国は不況に向かうかもしれない。今のうちに株を売っておかなければ。」などと考えて実際の不況を迎えても一人勝ちするかもしれない。でもその「大局を読む」こと事態がそもそも未来を予知することであり、本来不可能なことをしたつもりになっているだけなのだ。結果的に一儲けした人について、周囲が「さすが、あの人は大局が読めていた」と後になって言うに過ぎない。後付けの議論、ということになる。