以上の考察から私が導くのは次の結論だ。
失敗は二種類考えられる。一つは大体パターンが決まっていて、注意を十分行うことで理論上は防ぐことができる。それはおおむねハインリッヒの法則にしたがい、地震のようにべき乗則にも従う。私が「ハインリッヒ的」な失敗と呼んだものだ。そして理論的には防ぎうるという点では、その失敗には人災的な要素も絡む。そこで問題となるのは、たとえば私たちが物事に対して向けている注意の揺らぎであり、それが失敗の原因と考えることが出来る。
そしてもう一つは現実の、あるいは自然に生じる失敗である。それはまさに予想不可能で、どのような形で起きるかはそれこそ起きてみないとわからない。これがべき乗則に従うのかは私にはわからない。もちろんそれが自然現象に直接関係したものであったら、それはべき乗則に従うであろう。例えば地震による津波を防げなかったという失敗のように。しかし現実の失敗や事故は、それ以外のあまりに多くの要素を含むために、その生じるパターンにある種の法則を見出すことが極めて難しい。そしてそれ等の多くは私たちが注意や準備をすれば防げるようなものではなく、それを人災として処理することはより難しくなろう。そうなるとこれらは失敗というよりは、事故というニュアンスが強くなることになろう。そう、現実の自然な失敗とは結局「事故」と見なすべきものが多いのだ。
多くの失敗の場合、この二つのタイプが微妙に入り混じっているように思える。例えば2011年の東日本大震災の際の福島原発事故を考えよう。この事故では一方では予想を超えたレベルの津波が生じ、それは自然界に起きた「大揺れ」であった。しかし原発の事故を防ぐための最大限の努力、例えば地下の電力設備が浸水により停止するのを回避するための十分な方策を施していなかったという意味では、これは一種の人災であったとも言える。
すでに述べたとおり、これらの失敗のうち特に私たち人間の不注意や注意の揺らぎが大きな位置を占めた場合に私たちは本当の意味での失敗と呼ぶべきであり、そうでない場合はは事故として理解し、処理されるべきであろう。この後者には私たち人間に起きた生理現象や疾病についてもいえる。飛行機のパイロットが突然心臓発作を起こして倒れ、飛行機が操縦不能になり事故につながったとしたら、これは医学的な事象であり、失敗ではない。ただしそのような事態が生じることを踏まえて副操縦士を配備しなかったことが問われる際もある。その場合には失敗とも言えるだろう。