「カオス」と揺らぎ、予想不能性
以上「カオス」についてごく簡単な紹介をしたが、本書で論じている揺らぎのテーマと「カオス」について確認しておきたい。
ひとことで言えば揺らぎの予測不可能性は「カオス」の性質に由来するということだ。
たとえば次の数字の列を見ていただこう。
19,864.09 20,812.24 20,663.22 20,940.51 21,008.65 21,349.63 21,891.12 21,948.10 22,405.09 23,377.24 ・・・
やたら小数点以下が多いが、先ほど見た「定常状態にならない」「繰り返さない」システムという定義で見たような「カオス」的な動きを見せている。そしてこの数字は2019年の一月からのダウ平均株価の月ごとの値だ。
第○○章で、揺らぎの典型例として株価の上下運動を挙げたことを思い出そう。その動きは予想が付きそうで、しかし時には大きくそれを裏切る。結局どこに向かっているのか分からない。そしてそれは二重振り子や三体問題に見られるような振る舞いに似ているのだ。それはなぜだろうか?
「カオス」の場合は決定論的でなくてはならない。三つの天体A、B、Cはある時点でそれぞれがどのような力を及ぼしているかについて、少なくとも曖昧さはない。なんとなればPC上でシミュレーションをしてしまえばいいのだ。それでも結局動きはバラバラだ。二重振り子の関節部分や、天体Aのシルエットを追ってみれば、まさに「揺らぎ」を見せるはずである。
それでは実際の実験室で行ったらどうだろう? 間違いなく余計「カオス」的になる。「カオス」的、と言うのは、たとえば液体の中で、あるいは宇宙船内で無重力状態を無理やり作ってもどこかでノイズが加わり、あるいは理想的な真球A,B,Cを実際に作ることも不可能だからだ。だから既に決定論的であるという「カオス」の定義を満たしていない。そして三体それぞれが互いに及ぼす微妙な力はますますそれ以外の外力の影響を受けてしまい、仮想上見られる「カオス」よりさらにバラバラで予測不可能になるだろうからだ。
ましてや株価の動きのように、複数の人間が互いの心を読み合うという事態では、仮想的な状況よりもはるかに大きなノイズが加わる。
結局本章で私が示したかったことは次のようなことだ。ここ半世紀の間に急速に注目を浴びるようになった「カオス」という概念は、科学は、特に数学的では未来を予測できるという楽観的な見方を打ち砕くという意味があったのだ。
皆さんは19世紀初頭のピエール=シモン・ラプラスによる「ラプラスの悪魔」という概念をご存知だろう。当時はニュートン力学により、様々な自然現象が説明できるようになり、「全ての出来事はそれ以前の出来事のみによって決定される」と言ういわゆる決定論や、「原因によって結果は一義的に導かれる」という因果律が唱えられるようになっていた。さすがに科学者たちはそのような考え方から離れては来ていたが、それは「理論では結果は分かっていても、現実はそうはいかない」程度の認識でいる人たちも多かった。現代でも科学に興味を持たない人の多くは同様の考えを持っているかもしれない。しかし「理論上も原因によって結果を知ることが出来ないことがある」ということを示したのが「カオス」の存在だったわけだ。本書では脳について(第二部)、そして心について(第三部)揺らぎについて論じていくが、予想不可能性の度合いはいよいよ増していくと言わざるを得ない。しかし重要なのは、実は理論上も予想不可能な性質を有するのが、この世界であるという世界観を共有しておきたかったのである。