揺らぎと心の臨床
ここでは私が専門とする精神分析や心理療法と揺らぎの関係について論じる。精神分析の世界ではここ2,30年ほどの間にとても大きな動きが起きている。それがいわゆる「ツーパーソン・サイコロジー」ないしは関係精神分析の流れである。この用語やそれに類する概念自体はマートン・ギル、ロバート・ストロロー、ルイス・アーロン、エマヌエル・ゲント、その他数多くの分析家により1990年代には提出されていたが、そしてこの流れが、心を揺らぎとして捉えるという見方と見事に合致しているのである。
フロイトが一世紀以上前に創出した精神分析は、心を理解して治療を行う上できわめて大きな影響力を発揮した。1900年代になって次々と生まれた精神療法はいずれもこのフロイトの精神分析をヒントにしたり、それを改良したりしたものだったのである。しかしそれはどうしても一方通行の治療法であった。つまりそれは治療者が患者の話を聞き、そこに表れた病理や問題を理解し、伝える、介入するという形を取っていたのである。その意味で、問題を持った患者という一人の人間を相手にするという意味でワンパースン・サイコロジーと呼ぶべきものだった。そしてそこで起きていることは、たとえ一瞬ではあれ時間を止め、治療者が患者をフリーズさせ、あるいは顕微鏡でのぞいて観察する、というニュアンスを持っていたのである。
しかしこのワンパースン・サイコロジーは、正確さや客観性を担保するための試みと言えたが、それには実は大きな問題があった。体に問題を抱えていたり、脳に問題を抱えている場合には、そのようなアプローチで問題がないわけだが、心を扱う心理療法では、患者と治療者の関わり方そのものが患者にとって大きな影響を与えることが明らかになってきたからだ。
いまや数多くの精神分析家が異口同音に唱えていることがある。それは治療関係はそれを構成する二人(ツーパーソン)相互の力動的な関係性により成り立つということだ。それを専門的な表現で言い表すならば「相互互恵的影響 mutual reciprocal influence」 と呼ぶことが出来るが(Wallin,)、この考え方がまさに揺らぎの精神療法、心理療法とも言えるのである。
このツーパーソン・サイコロジーと揺らぎの関係を説明するために、前章で例に出したA君とBさんの関係を例に挙げよう。ただしあれから4年の時間が経っている。今やA君は心理士となって心理療法の臨床を行うことになったとしよう。そう、あのゼミは臨床心理士になるための大学院におけるゼミだったのだ。そしてBさんは役割を大きく代えていただき、大学では全く別の学部のゼミに属しており、その頃A君との出会いはなく、A君が臨床のトレーニングを始めて最初に出会った患者さんとして登場する。Bさんは普通の感性を持った素敵な女性で、A君は面接室で顔を合わせたクライエントのBさんのことを魅力的な女性と感じるだろう。しかしさすがに自分の立場をわきまえているため、もちろん心理士として適切に対応するべきことは自覚している。