2020年1月7日火曜日

顕著なパーソナリティ特性 1


顕著なパーソナリティ特性

「顕著なパーソナリティ特性(否定的感情、離隔、非社会性、脱抑制、制縛性など」)というジミーなテーマでの依頼原稿であるが、これに応えるためには下準備が必要になる。この原稿は精神医学のテキスト叢書の中のパーソナリティ障害についてであるが、結構しっかり書かないと偉い先生方に迷惑がかかる。つまりバリバリの学問的な文章を求められている。本当は苦手だなあ。この種の文章は書いていて面白くてためにならないと、モティベーションが湧かないのだ。
パーソナリティ障害というテーマは私は好きだし、いろいろ書いてきたが、それはいわゆるカテゴリカルな議論だった。例えばボーダーラインであるとか、自己愛であるとか,スキゾイゾ、などだ。一種のラべリング的なパーソナリティ障害の概念がそれだけ面白いのだが、「顕著なパーソナリティ特性」というのは要するに、ディメンショナル(いわば多軸的)な発想だ。つまりボーダーライン的な人がいる、という議論ではなくて、「ある怒りなどの否定的な感情がかなり強く、またアクティングアウトのような、抑制のきかない(脱抑制)傾向も強く、引きこもり(非社会性、離隔)などは少ない人」がいるだけだ、という考え方。しかしこれは分かりにくく、そもそもインパクトが薄い。「あの人はボーダーさんだ」という代わりに、あの人は「4311」のひとだ、というようなものだ。この数値はそれぞれ否定的感情、脱抑制、非社会性、離隔の程度を意味するわけだが、それってなに、と聞き返されるだけだろう。
しかし考えてみれば、人間はおそらく自分のことはディメンショナルに考えているはずだ。「僕はバリバリのボーダーさんだ」という人は先ずいない。「うーん、パーソナリティ障害とは言えないけれど、ちょっと怒りっぽくて向う見ずなところがあって・・・・。でも普通の人間だ」と言いたいだろう。そしておそらくそのほうが実情に近い。ボーダーライン的な振る舞いは時々インパクトのある形で表れても、普段は姿を見せることが少なく、結局はディメンショナルな在り方の方がより記述的になる。だからDSMで延々と用いられてきた「何とかパーソナリティ障害」という概念に批判が集まっていたと聞いても特に驚かない。しかしどうせディメンショナルモデルは採用されないと高をくくっていた。2013年にDSM5で土壇場でこの案が結局日の目を見なかったのも「さもありなん」というのが私の反応だった。だから今年発表されたICD-11でこのディメンショナルモデル(つまり、あなたの性格は4311です、的なシステム)が採用された時は、ほんとかよ!というのが私の正直な反応だったのだ。