精神分析における「静」というテーマで論じてみる。
確かに精神分析の中での静寂や沈黙、というのは興味深いテーマではあるが、これまでの考察からお分かりと思うが、揺らぎとダイナミズムが心のあり方の基本であり、静的な心というのはむしろ危険をはらんでいるということを主張したい。
脈拍の揺らぎがなくなることは危険を意味するという例の問題。ないしは脳波がフラットになるということは問題だという意識が私の頭にはある。同時に心が静になってはいけないし、分析家が沈黙してばかりもいけないだろう。
このような考えのきっかけになったのがゲオルグ・ノルトフの著書であり、かつて書評に書いたので、振り返ってみる。それは「脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫る
ゲオルク・ノルトフ (著), 高橋 洋 (翻訳) 白揚社、2016年」という本である。
この本の主張は次のようなものだ。人間の中枢神経系は、何もしていないとき、安静にしているときでも自発的な活動をしている。それが「正中線領域 CMS の安静時活動」である。そしてその動きは非線形的であり、非連続的、予測不可能なものとして特徴づけられ、つまりはまさに「揺らぎ」なのだ。そしてその視点から心のあり方を考えるのが、彼らの提唱する「神経哲学 neuro-philosophy」という分野であるという。
まず安静時活動 resting-state activity というものの意味についてだが、従来は、精神の活動は外界からの刺激に反応することにより確かめられていた。それが外因的かつ認知的な脳へのアプローチだが、実は脳は外部からの刺激を受けずに、静かに休んでいるように見えても、活発な活動を行っていることが最近の fMRI などの研究によりわかってきたのだ。そしてそれが他の分野でも論じられるようになってきている「デフォルトモード・ネットワーク DMN」の活動に対応するのである。この DMN の活動は正中線領域(大脳皮質正中内部皮質構造、CMS)に見られるが、それがいわゆる「ダイナミックコア」に一致する。これはG.エーデルマンの「視床皮質再入連絡路」の概念と、G.トノーニによる「情報統合理論」を合わせた理論により導かれる。このダイナミックコアの活動は脳全体がグローバルに情報を伝達処理する活動に相当する。脳の一部でしか処理されていない情報は無意識にとどまるが、それが脳全体に広がる際に意識が生まれる。そしてその際ゲートキーパーの役割を果たすのが、前頭前野・頭頂野であるという。これらの部位は、局所的な動きを全体に移して意識化させるか、それが無意識にとどまるかを決めるという。
このノルトフの著書の中で特に難解な最終章では、私たちが持つアイデンティティの感覚には CMS が重要な役割を演じ、かつその領域の活動が「通時的な不連続性」により特徴づけられるという一種のパラドックスがあるということである。この領域の活動が連続的となった場合には、むしろアイデンティティや意識の不連続を生む。そのことは最終的に定常状態に達したフラットな脳波や、てんかん発作時の高振幅の棘波 - 徐波パターンの出現は、意識の消失を意味するということから分かる。そしてさらに議論は自己連続性に時間のファクターが決定的であるという点に移る。そのことはいわゆる時間割引(TD、報酬が先延ばしになるにつれ、どれほどそれへの関心が失われるか)と自己連続性が反比例するという実験から示唆されるという。そしてまたしてもCMSが時間の感覚の生成に中心的な役割を発揮するというのだ。この最後の部分は難解で私はとても十分に理解したといえるには程遠い。