一番のストレンジアトラクターとしての恋愛体験
恋愛もまた典型的なストレンジ・アトラクターを形成する。ある男女のカップルを例に取り、その所在地を地図上で追ってみよう。おそらく上に見たローレンツのアトラクターに似たような動きを見せるはずだ。
将来カップルとなる運命にある二人は、普通は別々の場所で、互いとは無関係に生まれたはずだ。だから両者の位置はそれぞれの地元のあたりをうろうろするだろう。ほとんどは自宅と学校の往復運動をするかもしれない。これはそれ自体が一つのアトラクターと言える。しかしそれらは通常は交わらない。しかしそのうちどこかで二つのアトラクターが出会って(たとえば大学のサークルの集まりとしよう)、それから週に一度ごとにいっしょになる(デートというわけである)。そのうち両者はずっと一緒の場所にいる時間が長くなり、時間も共にすることが多くなる。つまり同棲ないし結婚したわけだが、これはかなり明確なアトラクターという事になる。しかしこのアトラクターが面白いのは、いったん一つのアトラクターに収束したらそれでおしまいかといえばそうとも言えないという点である。10年たってみたら、あれよあれよという間に二つは離れ、しばらくして別のところで互いに地元に戻り、大学以前のそれぞれのアトラクターに近い形で収まるかもしれない。
以上は異性同士の行動をマクロ的に見た場合のアトラクターのあり方であったが、両者が行う生殖行動もかなり独特で強烈なアトラクターである。そして生殖行動については、もちろん人間に限ったことではない。生殖を営む動物一般についても同様のことは言えるのである。しかしなぜ生物はこのようなアトラクターを有するのか、という疑問を持つことにはあまり意味がない。そのようなアトラクターを有する個体が種を保存し得て現在に至っているのだ。そのような意味では現在存在している生命体はことごとく色好みの遺伝子を有しているのである。私たち(と言っても動物代表として、である)はおそらく異性をアトラクターとして選択し、一定の行動を取るようなプログラムを備えていて、それにしたがって生殖活動を行っていく。ただし異性がアトラクター(惹きつける人)というだけでなく、その行動そのものがアトラクターなのだ。一連の生殖行動を行うとき、動物は普段とはまったく異なる振る舞いをする。普段は近づかない異性に接近し、普段は取らない行動を起こし、それが最終的に遂行されるまでは一心不乱にそれに従事する。その間は天敵に狙われ命を落とす可能性は限りなく増幅するが、それは命を賭してでも行わなくてはならない。いったい何がそのような特定の、普段とはかけ離れた行動へと誘うのだろうか?
Andreas Bartels and Semir Zeki (2000)The neural basis of romantic love.11:3829-2834
Andreas Bartels and Semir Zeki (2000)The neural basis of romantic love.11:3829-2834
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの研究者Semir Zekiは、人が好きになった相手のことを考えているとき、脳でどのようなことが生じているかを調べたが、その研究結果が興味深い。MRIスキャンの結果、人は夢中になっている相手の写真を見せられた時、大脳皮質の前頭葉が抑制され、批判や疑いといった心の機能がストップすると伝えている。前頭葉は人間が判断(行動選択)を行う重要な部分である。また恐れを感じる扁桃核も抑制され、その代わりに快感を生み出す報酬系が活性化される。つまり生殖行動というアトラクターに嵌っている最中は、それが心地よさを与え、それが危険であるという可能性を忘れさせるような脳のメカニズムがはたらいているのだ。その意味では上述の嗜癖としての要素をそれだけ多く持っていると見ていい。
そしてその間実に巧妙にプログラムをされた行動に従った行為が行われる。それは誰に教わることもなく身についている行動なのだ。ところでこの見事なアトラクターの例を紹介したい。ナタリー・アンジェ著、相原真理子訳「嫌われものほど美しい -ゴキブリから寄生虫まで」草思社、1998年)から引用しよう。
オスは櫛状突起によって、求愛ダンスの重要な小道具、つまり精子の入った袋である精包を置くための棒を見つける。ダンスをしながらオスはメスを棒のところまで引きずっていき、精包を排出し、メスの体を棒の上に置く。やがてメスは自分の櫛状突起の間にある生殖口を開き、精包を体内に取り込む。交尾を終えたメスはクライマックスのあとのスナックを求めてオスを攻撃しようとする。オスは櫛状突起が出す科学的なシグナルによってそのことを察知し、すばやくメスから離れて逃げ出す。だた10~20パーセントのオスは逃げ送れてメスに食べられてしまう。