決断もまた脳の同期化である
カリヴィンの主張は、脳におけるタイルの勢力争いが、あたかもダーウィニズムのような適者生存の様相を呈するというものであるが、それを例示するものとして、決断のプロセスを考えよう。たとえばあなたがレストランのメニューを見ながら、カレーにしようか、ハヤシにしようかと迷う。(ずいぶん単純なメニューのようだ。)それぞれが、たとえばカレーライス、とかハヤシライスとかの色に染まる。最初は迷っていたが、結局ハヤシだ!と決まった時は、六角形のタイルの大多数が最終的にハヤシを支持し、地滑り勝利を修めた時だ。丁度臨界点にあった水の表面が氷結してしまうような現象である。
そんなことってあるだろうか? でもこれは私が昔から疑問に思っていたことを言い当てているのである。私は昔から自分の心がサイコロを転がしていると感じていた。そう、揺らぎと同じ発想である。そしてある思考が生まれるまでの自分の心には、本当に取り留めのない思考の断片が浮かんでは消えている。それが思考として結晶化した時に、初めて自分はそれを意識化したり、言葉にしたりすることが出来るのだ。カルビンはそれを言い当てているようだ。
さてその六角形のことだ。私たち精神科医はその基礎知識として、大脳皮質はただ漠然と神経細胞が並んでいるだけではなくそれらの単位が目まぐるしく勢力争いをしながら思考が形成されるとはどういう事なのか?
この説明のためにはもう少しカルヴィンの話に耳を傾け、彼の言うダーウィニズムについて理解しなくてはならない。
カルヴィンにとっては、ダーウィニズムは生命体が営むあらゆるシステムに埋め込まれていると理解される。彼が例に挙げるのは免疫システムである。ある抗原に暴露されると、動物は極めて迅速に抗体を作り上げる。これはとてもトップダウンで起きるプロセスではない。抗体は様々な分子を組み合わせることで抗原に対応していく。決して新たに抗原と出会って、一から作り直されるわけではない。しかし免疫システムでは、いくつかの分子の組み合わせが自動的に生じてその抗原に適した抗体だけが選択されて増殖していくという仕組みが出来ている。そしておそらくそれと同じようなことが脳のプロセスにおいての生じていると考えたわけだ。
さて抗原抗体反応なら、選択された抗体は、特定の抗原にフィットし、それを攻撃するという特性を持っていることで選ばれるわけだ。しかし思考についてはどうだろう? たとえば先程のカレーか、ハヤシかをめぐっての攻防だ。たとえばレストランで注文を聞かれて即座にどちらかを決めなくてはならなくて、心の中でサイコロを振るという様な事態ではないとしたら、あなたの心は結局カレーかハヤシかを選ぶにあたって、実際に食べているのを想像するだろう。あるいはメニューに載っている写真を見て、どちらかが特に美味しそうに見えるかもしれない。その他のいろいろな条件が重なって、カレーの方が少しずつ良さげに見えてきて、ついにある時点で「カレーに決めた!」となるはずだ。(別にハヤシでも構わないが)。
その時起きているとカルヴィンが主張するであろうことは、カレー派とハヤシ派に分かれていた六角形のテリトリー同士の勢力争いが起き、最後に勝った方が選ばれるというプロセスが大脳皮質で起きているという事なのだ。