私がここで述べている共振という現象については物理学者でありかつサイエンスライターであるマーク・ブキャナンMark Bucchananの本が非常に参考になる。(彼は本書に何度も出てきた「歴史はべき乗則で動く」(ハヤカワNF)の作者でもある。) 彼が2007年に出版したSocial Atom (「人は原子、世界は物理法則で動く―社会物理学で読み解く人間行動」 白揚社,2009年)という本は、人が社会の中でどのような動きを示すかについて、それを一種の分子の動きになぞらえて説明している。ブキャナンはそれが最近の人間理解に一種の革命を起こしているとまで主張する。それはいわば社会物理学social physics とでも言うべきものであるという。
空気の分子にしても液体の分子にしても、それらは単独で動いているわけではない。ある種の物理法則にしたがった動きを見せる。しかしそれは決して物質の世界に一定の秩序をもたらすわけではない。本書でも紹介しているように、不可知性や蓋然性を伴った揺らぎは無生物の世界でも生命体でも、そして心でも起きていることである。つまりそれは「法則とまではいかないものの、法則のような規則性law like regularity 」(ブキャナンの言葉)を見出しつつあり、それはちょうど量子革命quantum physics になぞらえることが出来るという。
この量子革命とはもちろん量子力学のことを言っている。量子力学の発見は私たちの世界観に一種の革命を起こした。そこにはある種の法則と同時にとらえどころのなさ、不確定性を備えた世界のあり方を示してくれたのである。その不確定性の一番の特徴はそれが未来を予測しないこと、そして現実は決して一つのあり方としては規定しえないことであろう。例えば量子力学においては、電子は粒子としての性質と同時に波の性質を有し、その位置は確率的な雲によってしか示されえない。もちろんある時点でのその実際の位置を確定することは出来る。それは電子の持つ粒子としての性質によるものだ。しかしその性質を全体としてとらえるとしたら、それは確率によってしか表現することが出来ない。
量子力学が示すのは、素粒子間の連携ないしは関係性の不思議さであろう。「量子縺れquantum
entanglement」と呼ばれる現象だ。量子は二つで安定するという性質があり、一度安定した量子はその後離れていても一方の情報が他方に瞬時に伝達されるという。
もちろん量子力学は「それが実世界に生きる私たちには直感的に把握できないのが一つの性質とさえ言われる。しかしその把握のできなさは人間の行動のそれとも通じているというのがブキャナンの主張でもある。つまり人間の行動には一種の法則のようなものが存在する。しかしそれは人間のあり方をことごとく規定するようなものではない。もっとゆるく、それこそ正確な予想が不可能な振る舞いをするのだ。しかしそこには同時に何らかのパターンを見ることも出来そうだ。ところがそれは厳密な意味での規則性を有してはいない。それがブキャナンが言う「法則のような規則性」という事になる。そしてこれを正確な規則性と見誤ることから株の売買の失敗や偶発的な成功が生まれるのである。
揺らぎという鍵概念で心を理解しようとしている私にとっては、これも揺らぎであり共揺れの概念としてとらえられることができるように思える。