そこでローレンツの方程式三本について少し見て行こう。もともとこのモデルは、気象学者のエドワード・N・ローレンツが 1963 年に気象学に関する雑誌に発表したものであった。つまりどのようにして風が吹き、どのように海面温度が変化するかなどについて知る方法を探ったものである。本来未来の天気を予測することは人類の悲願だった。天候の変化は作物の生産量などを知るうえで私たちの生活に密着した情報だったからだ。しかしそれがあまりに複雑な式になってしまうために、ローレンツはそれを思い切ってかなり簡素化した流体力学の三本の公式にまとめたのだ。
この式自体が表す意味は複雑で私にも説明が十分できないが、ここでは差し当たってそれは問題にならない。そこである空気の中の特定の酸素の分子に注目し、その三次元上の位置をx,y,z,で表し、tは温度を表すとする。そして南北方向の速度dx/dt は、x と y の差(y-x)に比例する、という観察結果が得られて、それが第一の式となる。第2、第3の式もこの変数のあいだの関係から得られたとしよう。するとある時の特定の酸素分子の三次元座標上の位置が時間によってどのように変化するかを追うと、例のバタフライの図が描けるという事になる。
勿論実際の酸素分子はこのようには動かないであろう。しかしこのような風の動きが成り立っている空間にある酸素分子は仮想上はバタフライのような運動をして、一か所をくるくる回っていたかと思うと、急にもう一方の渦巻きに突入して、そこをしばらく回る、というこの奇妙な運動を繰り返すことになる。それがストレンジ・アトラクターと呼ばれるわけだ。
このアトラクターはほっておくと蝶ネクタイのような軌跡の線がどんどん濃くなって最後には真っ黒になってしまう。というのもどの軌跡も一本たりとも正確に一致していないからだが、これがストレンジ・アトラクターの真骨頂だ。つまりこの一本一本は揺らいでいるのである。もしある軌跡が以前の軌跡とまったく一致していたら、それ以降の軌跡は以前のものをなぞるだけであるから、最終的にはこの蝶ネクタイには隙間がたくさんあくはずだ。ところが実際の軌跡は少しずつずれるという形で限りなくこの蝶ネクタイを濃くしていく。このような振る舞いをするアトラクターをストレンジ(変な、変わった)アトラクターと呼ぶわけである。
もちろんこんなヤヤこしいアトラクターではなく、シンプルで何度も以前の軌跡をなぞるアトラクターもある。たとえば振り子運動をしている金属の玉に、触れている面に対して横向きの力を加えて放っておくと、振子は楕円運動を延々と繰り返すであろう。もちろん空気との摩擦を省略した場合である。その場合のアトラクターはどのような幅も太さも持たない単線からなる楕円である。しかしストレンジ・アトラクターは延々と、少しずつ前の軌跡とは異なる軌跡を描き続ける。つまりそれは面を形成するのである。なぜこちらの方が断然面白いかと言えば、自然現象は圧倒的にこちらのアトラクターを有する場合が多いからだ。
たとえば自然界のストレンジ・アトラクターとして土星の輪があげられる。土星の輪はその見本のようなものだ。土星の周囲の輪は、大小さまざまな粒子からなり、それらがびっしりと土星の周りを周回しているのだ。その粒の大きさはミクロ以下の塵のレベルから直径数メートルまでからなり、そのほぼすべてが氷であることが分かっている。しかし土星の周囲を回っているというわけだから膨大な数の衛星と見てもいいだろう。