分子が揺らぐ、素粒子が揺らぐ、そしてもちろん細胞も揺らぐ・・・・
私は正直「揺らぎおたく」の心境であるが、それは揺らぎは物事の一つの性質ではなく、本質とも言えるという事実に直面したからである。私の最終的な目標は揺らぎとしてみた心の在り方であるが、まずは順を追って微小なものから大がかりなものへと目を移していきたい。
ひとつの重要な視点として、私たちが知り、感じている「揺らぎ」というのは、比較的マクロな世界での出来事であるという事は理解しなくてはならない。台地が揺らぐ、ブランコが揺らぐ、旗が風に揺らぐ、洗濯物が揺らぐ、という時はかなり大きなものがぐらぐら揺れていることになる。その周期はかなり長く、ブランコなどは私たちの体もそれに載って一緒に揺らいだりする。ところがより小さなものになると、その揺れ幅は小刻みになり、また周波数も大きくなる。「揺らぐ」というよりはプルプルと「振動する」という表現の方が近くなる。これは生物のゆらぎ方を観察するのが一番早い。たとえばコンドルが大空を舞っている時、その羽の揺らぎ(羽ばたき)はかなりゆったりしたものであろう。一秒に一回か二回がせいぜいだ。しかしスズメやツバメの羽ばたきは10回程度とかなりせわしなくなる。そして同じ鳥でもハチドリなどは、毎秒50回から80回の羽ばたきというのであるから驚くべき速さである。蚊が耳元で「プーン」と音を立てる時の羽の発している周波数は500回の羽ばたきを表しているということになる。
この部分を書いていてどうしても脱線したくなったのだが、皆さんはパルサーという星の存在をご存知だろうか。太陽より大きな星が終焉を迎えて大爆発を起こすと、最後に半径10キロメートルほどの大きさに、太陽何個か分の質量が詰め込まれて、カチカチになる。それもただの硬さではない。その密度は1立方センチメートル当たり数億トンというのだが、その巨大隕石のような天体がとんでもない速度で回転している。毎秒1000回転というパルサーもあるそうだ。だから「大きければゆっくり」にはとんでもない例外もあるという事である。
ともかくも羽ばたきの話だった。鳥もハチドリもハエも、羽を揺らがせることで空気を蹴って飛ぶという利点があった。なぜ分子は振動していなければならないのか。揺らぎの理由が不明なのだから、その理由は分からない。しかし少なくとも生命維持にはきわめて重要なのだ。たとえばタンパク質の振動はその役割を揺らぎによって果たしていると言っていい。
例えばこんなことを考えていただきたい。タンパク質が体内の細胞内で合成される。一つのたんぱく質の分子は幾つかアミノ酸の結合により出来る。細胞の中のリボソームという器官で、一つ一つアミノ酸がつながっていくわけだ。そのプロセスは途方もなく複雑だが、しばしば出てくる表現として、○○の部位に××が結合する、という言い方だ。たとえば次のような解説(生物学入門 石川、大森、島田編 東京化学同人 第9章より)。
「DNA から mRNA への転写は、酵素である RNA ポリメラーゼによって触媒される。RNA ポリメラーゼは、DNA の二重ラセンをほどきながら、二本鎖のうち鋳型となる鎖の塩基の 配列を読んで、これと相補的な塩基をもったヌクレオチドを次々と呼び込んで結合をつくっていく。」(傍線は岡野)などのように。
しかし「相補的な塩基をもったヌクレオチドを次々と呼び込んで結合をつくっていく」とサラッと書いてあるが、いったいどのようにしてそのようなことが起きるのか。一定の塩基配列の周りにウヨウヨしているのは、途轍もない数と種類の分子である。もちろんヌクレオチドの分子だけではないだろう。つまりその「一定の塩基配列」に対しては、途方もない数の分子が揺らぎながらついて離れ、ついては離れを繰り返している。たいていは両者がうまくはまり合わないから、それらの分子は離れていく。そしてたまたまうまい具合にはまったヌクレオチドがそこに収まるというわけだ。そこでは形状がすべてだ。一般に分子は水中では独特の三次元構造をし、ちょうど鍵穴にハマる鍵のようにして、お目当ての分子と結合するのだ。繰り返すが、ある塩基配列の裏返しになっている塩基が、最初からそこを狙ってやってくるわけでは決してない。すべては偶然の産物だ。ヌクレオチド同士が揺らぎながら途方もない頻度でお見合いを繰り返し、その中からぴったり合ったもの同士が結ばれていく。タンパク合成はこうして水の中での数多くの分子の揺らぎを前提にしないと少しもことは進んでいかない。
もちろん話はタンパク合成だけに限ることではないことは確かである。薬の例でもいい。私たちが春先になり、花粉症に苦しんで抗ヒスタミン剤を服用するとする。するとその薬の分子は、体中をめぐり、ヒスタミン受容体にくっついてヒスタミンの作用を抑える。しかしいったいどうやって抗ヒスタミン剤の分子がヒスタミン受容体を探してくっつくのだろうか。血中に流れる抗ヒスタミン剤の分子はきわめて希釈されているだろうし、身体を構成する細胞の表面に広がる受容体の数はその種類も数も天文学的であろう。そして抗ヒスタミン剤の分子は、どこにヒスタミンの受容体があるかなど知る由もない。ただあてずっぽうに、みずからの振動の力によって数多くの受容体と接していく。そして受容体の方も血中を流れる無数の物質の分子とついては離れ、を途方もなく繰り返し、ようやくお目当ての抗ヒスタミン剤と出会う。それぞれのリセプターがお目当ての分子に巡り合うチャンスはおそらく天文学的に小さいであろう。しかし分子の振動によりリセプターに訪れる分子の数もおそらく天文学的であり、だからこそ分子とリセプターが出会う可能性も高まる。(ここを書いていて私が門外漢であるために、その想像が正確ではないかもしれない。たとえば抗ヒスタミン剤は、ヒスタミンの受容体に優先的に引き寄せられるような仕組みがどこかに存在するのかもしれない。しかしそんなことはおそらく起きないであろうからこの想像のままにしておく。)
ちなみに福岡伸一先生の名著「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書、2007年、p. 179)には、このたんぱく質どうしの出会いでさえ、揺らぎながら行われることが述べられている。彼は福田郁夫・福島県立医科大学教授の研究を紹介し、ちょうど鍵と鍵穴の様にぴったり合ったはずのタンパク質同士でも、実はプルプル振動し、細かな着いたり離れたりをしているという。つまり揺らぎに任せて接近したたんぱく質どうしは、くっついた後も今度はさらに細かい揺らぎにより、付かず離れずを繰り返す。このくっつき具合の揺らぎというのが、物質が動的平衡を維持するうえで必要となるわけである。いやはやどこまで行っても「揺らぎ」なわけだ。