2019年9月25日水曜日

文化と解離 1


ここで私が整理しておきたいのは次のことだ。人の心では別の主体が生み出されるという不思議な現象が起きる。人は突然それを観察することになったり、影響を受けるような状態が生じる。それにはおそらく明確な中枢神経系のレベルにおける対応物 correlate があるはずであるが、それが不思議なことに瞬時に生じるのである。あたかも魂、霊魂というものが存在して、それが憑依する、獲りつく、心に侵入するという現象と考えられる傾向にあるのはそのためである。そんなことでもない限り、それほど不思議な現象など起きないはずだ、というわけである。
ところがそれがごく自然に起きているのが夢の状態である。このことに私たちはあまり気が付いていないのではないかと思う。たとえば私たちが意識的な活動をしている時に、誰かある想像上の人Aさんを作り上げ、その人が自発的に動き出すのを待つということをするだろうか。普通はそのAさんの自発的な動きに驚くということは起きない。それは結局は自分が考え出した動きがAさんに反映されているという状態に過ぎないはずだからだ。いわゆる表象現象とはそのような体験である。しかしある作家(村上春樹氏はそのような体験をどこかで語っていた)は常にそれをしながらストーリーの展開の観察者となり、それを書きうつすということが創作活動となっている。そして考えてみればあるアイデアや曲が浮かぶとはまさにそのような現象なのである。それに関して私たちは、特殊な才能でもない限りそんな神がかり的なことは出来ないと考えるだろう。
しかしそのことを実は私たちはみな日常的に、というより毎晩体験しているのであり、それが夢というわけだ。夢にある人物A さんが出てきて、とんでもないことを言ったりしたりする。自分はもっぱら観察者だが、気が付いたら自分もかなり意味不明なことを、そうと気が付いてやっているというのが夢の進行の仕方だ。ということは脳の別の部位で自発的に主体を動かすという作業をしている、という意味では夢の中での私たちの活動は多重人格的、と考えざるを得ないわけである。しかしこの夢の不思議な現象は、あまりにも当たり前すぎて、それを疑問に思う人はあまりいないのだ。その中で先日紹介した河合隼雄氏は例外的だったと言えるだろう。