2019年9月19日木曜日

河合隼雄と多重人格 2

河合隼雄の多重人格に関する言及のもうひとつは、KAWADE 夢ムック「河合隼雄 こころの処方箋を求めて」(2013年、pp64-86)に収められている哲学者鷲田清一氏との対談に出てくる一節である。
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鷲田:昔だったら人間は、人生何かある仕事ひとつで生涯を貫くことが尊いとされた。漁師生涯竹一竿でしたっけ? そういう生き方をすると、会社に行って会社に自分を全部預けて定年を迎える、本当にピッと終わりますね。けど若いときに会社の勤務中にエスケープして映画見に行ったりとか、あるいは五時になって、あとはオートバイの仲間と遊んでたりする、そういう、若いときからいろんなチャンネル持ってる人は、別に定年が来ても一つのチャンネルがなくなるぐらいですむ。僕の友人なんか見ていても、パンと存在感のある人って優等生タイプの人じゃなくて、結構いろんなところを渡り歩いてきた人そういう方が、五十すぎてくると、これは絶対もてるなあという感じの存荘感持ってくるんですね。そういう多様性というのは大事ですけど、多重人絡というと統一性をつなぐもの事体がなくなって、非常に苦しいというのはわかるんですけども、多様性ということを本当にいいだすとすれば、それのほうがいいんだという言い方もできるものなんでしょうか?
河合:それは、これからの、あらゆるところにある、すごく大きな疑問じゃないでしょうか。私にとってもすごく大きな問題で、ずっと考えていることです。まず多重人格の方ですが、実際本当に太変です。多重人格の特徴は、お向いに関係がない、あるいは一方だけ知っている。二重人格の場合はわかりやすいですけど、不思議なことに第一人格はよい人怖で第二人格は悪い人格です。第一は第二を知らないんです。第二人格は第一人格の存在を知っていることが多いんです。第一は第二を知らないんです。悪いやつの方が上手なんですね。すごく興味深いですけどね。それはともかくとして、今おっしゃった多様性のことですが、会社のこともやっているけれど、オートバイもやっている、ぐらいだったらいいけれど、たとえば教室の中では「皆、さぼってはいけません、しっかりやりなさい」と言っておいて、教室から外へ出たら悪いことをする教師。これは多様性があるというのか、離しくなるでしょう。だから、多様な中の統一というか、そういうことは誰でも言うんです。でもいくら早いこと統一しようと思っても、多様はなくならんですよ。そこのところで西洋人は多様をインテグレートすることを考える。
鷲田:統合する。
河合:われわれ日本人はハーモニーだと思うてる。インテグレートはされてなくても、ハーモニーがある。違うんちゃうかと。日本人には調和の感覚は美的感覚としてありますわね。日本人は倫理観という場合、美的感覚がすごく大事になってくるんじゃないか。向こうは一神教でしょう。だからやはりインテグレーションといいたいし、どこかに一なるものがあるんですよ。一なるものまで統合されていく。こちらの場合は一なるものがなくて、いろいろあるんだけど、ハーモニーがある。だから僕はそのハーモニーの感覚を身につけて生きていく、これがいいんじゃないかと思っているんですけどね。
鷲田:おっしゃられるように、まさに人格もユニティ(統合)であり、ユニット(単位)ですからね。統一されて始めて人格が成り立ち、人格が一つ一つのユニットになって、国家を形成していく。そこでもユニティがユニットになって、ヨーロッパの世界国家、世界性を考えたりというふうに統合されていくという秩序。だから一般の社会、共同体というのを考えるときに、何らかの集合体がいるわけですよね。信仰を共有するとか、信念や思想を共有するとか、それは宗派でも政治集団でもそうだし、国家でもそうだし、集団ができるときにはいつも、何かある共通のものを共有するというかたちで共同体が作られる。一番大きくなると人類は神という共通のものを共有し、それぞれが神と繋がるかたちでひとつのまとまりができる。ヨーロッパの現代的思想でも、何かを共有するかたちでないような共同体は、どうしたらできるんだろうか、というのが最近問題になっています。共有しないものは、外部になってしまう。ヨーロッパの人が他者といっているのも、外に排除するんじゃなく.しかも共有できるものがなくて共存できる共同体とはどういうものなのか、と。
河合:面白いね。多重人格というのはアメリカでものすごく出てきたんです。一神教の世界だから。ところがアメリカ社会は突然ああいうふうに急に拡張してきたから、いろんなことが起こる。ところがユニットの中に人らないものはほっぽりだすんです。その、入らないやつが今度は人格を形成する。日本の場合は、放り出さずに曖昧にくっついているから、多重人格にならずに、まあ多重人格的に保たれてる。向こうは完全に多重人格になる。多電人格をどうやって治療するか。アメリカでは治療者が、一人ひとり呼び出すんですよ。今第一だから、第二は引っ込んくれと。次、第二の人出てください、次、第三、と。三と二は一緒にならへんかとか、一人ひとり話し合いをしていく。それでだんだん一人にしていく。僕は絶対それはあかんと。僕の方法は、一が出ようが三が出ようが、ふわーと会っている。あまり区別せえへん。
鷲田:決まりをその人につくらせるんじゃなしに、相手方に。
河合:そう。だんだん繋いでいくから、それは向こうに任せといたらいい。そやけどこっちは一人ひとりとしっかり会うて、真剣に話さないかん。ちょっとおれいいか、と出てきても、はいはいと。アメリカはそんなわけはない、明確にしろと。でもアメリカの方は本当に、今、失敗してきでるんですよ。日本の方で、アメリカ式にやる人がいるんですよ。一と二と三と四と会って、とうとう一つになるんですよ。喜んどったら、一日後に自殺。
鷲田:統合されて。
河合:統合に無理があったんでしょう。統合といってるけど、誰か死ぬわけですよ。その誰かにしたら殺されてる。二も三も四も生かして一人にするって、すこく難しいじゃないですか。一人ひとりを呼ぴ出しているということは、人格も認めているわけやからね。いったん人絡を認めながら、一人になれなんて、それは無茶な話ですよ。僕の方法は、時間はかかるけど、皆が自然に一つになっていくのを待つのです。
(以下略)