その時起きているとカルヴィンが主張するであろうことは、カレー派とハヤシ派に分かれていた六角形のテリトリー同士の勢力争いが起き、最後に勝った方が選ばれるというプロセスが大脳皮質で起きているという事なのだ。
さて最後にカレーが勝ったという想定で論じたが(しつこいようだが、別にハヤシでもいいのだが)、なぜそうなったのであろうか? 実はこの部分は心の在り方を考えるうえで一番謎めいた部分なのである。それをあえて言うならば、あなたにとっては、カレーを食べることを想像することがより快感につながるからである。心のダーウィニズムは、より本人に快を感じさせるものが勝利を修めるという法則に従うのだろう。では生命体は何を快に感じるのか。それはそれが本人の生存可能性を高めるから、という事になる。ここら辺はカルヴィンの本をこれから読み直すうちに見えてくることかもしれないが、私が一昨年に出版した著書「快の錬金術」(岩崎学術出版社)にも書いたものである。この部分は後に詳述することになるが、ここで概要を書いておこう。
そもそも線虫がダーウィンの原則に従って生き残っていくとしたら、それはどのような条件が整っているのか。その線虫は格別に力が強く、他の線虫との戦いに勝つかもしれない(線虫同士の格闘、もつれ合いなど想像もできないが、おそらくそんなことも実際にあるかもしれない)。しかし何よりも重要なのは、その個体が自分にとって有益なもの(餌? 匂い?)に向かって突き進み、また危険を真っ先に回避するからだろう。そしてそこで一番重要なのは、栄養豊富なものを摂取することへの快、そして危険への嫌悪が強いという原則が成立していることなのだ。快に向かい、不快を回避するという事を最も効率的に行った個体が生き残っていく。
しかしこれは考えると何となく理屈に合わない。線虫の個体は、どうして自分が快を感じるものが自分の生存の可能性を高めることを知っているのだろうか? おそらく論理が逆なのである。わかりやすくするために、線虫があるAという物質を摂取した時に、それだけ生存率が上がる、と仮定しよう。しかし線虫はAを美味しい(快感を味わう)とは体験していないかもしれない。しかしAという物質に対してより積極的に向かっていく個体が生き残るとしたら、その線虫は「主観的」にはAを美味しいと感じている方がはるかに合理的である。そこで自然は生物一般にある種のアラーム装置を与えた。それはドーパミンという物質により作動する装置で、それはその個体が生存する確率が高いものに対して快という感覚というアラーム(いい意味での)を鳴らすのだ。というよりは生存率を高めるような物質にアラームを鳴らすような個体がより多く生き残った、という事である。この様に考えれば快というのは全くの幻であっても構わない。快もまた、薔薇の赤い色、と同じようなクオリアであるとすれば、その実体はなくてもいいことになる。ただそれにしては生命体には報酬系というアラームシステムがなぜかしっかり備わっているのであり、そこに何らかの実態があるような気がしてしょうがないわけだが。しかしこれも証明のしようがない話だ。
結局私が言いたかったのは、ダーウィン的な適者生存とは、報酬系が機能するという事と、同じだという事である。ただしもちろん、ちゃんと機能する報酬系でなくてはならない。たとえば痛み刺激を快に変換してしまうような報酬系は早速生存競争に負けてしまうのである。しかし大まかに言ってその個体の生存にとって一般的に有効なものを快と感じ、その逆を不快と感じるような個体は、それだけ生存競争を勝ち抜くと考えていいだろう。