2019年8月31日土曜日

はじめに 追加


およそこの世に存在しているあらゆるものが揺らいでいるという事実の説明から入る必要があるだろう。
「この世に存在するもの」と言ったが、ここでは抽象概念は除いて考える。なぜならばたとえばユークリッド幾何学における「点」は例外だからだ。「点」とは「位置以外のあらゆる性質を持たないもの」と定義される。ベクトルと異なり、「点」は大きさとか方向性とかは持たないし、もちろん質量などない。そして当然ながら、「点」は決して揺らいではいない。なぜならもし「点」が揺らいでいたら、大事な存在条件である位置を失ってしまうからだ。このように抽象概念なら揺らがないものなどいくらでもある。早い話が「揺らがないもの」という概念は「揺らがない」のである。
 でもこの世に存在する事物はことごとく揺らいでいる。絶対、とは言わない。この世に例外を発見するのは至難だからだ。ただこの世に存在するものすべてが結局は素粒子により構成されている以上、その本質が振動という名の揺らぎを本質としている、と言って逃げることもできる。なぜなら超弦理論によれば、素粒子はことごとく有限の長さのひも string の振動状態により構成されるからだ。だから「この世に存在するものはことごとく揺らいでいる」というよりは「揺らぎ(振動)がこの世を構成している」というほうが正確なのかもしれない。この目に見えないレベルの揺らぎの話は後に回すとして、もう少し私たちになじみのある揺らぎに話を戻そう。
自然界に存在するものとは、たとえば石ころであり、空気であり、惑星であり、時空である。観測方法さえあれば目でみて確かめることが出来るようなものだ。最近はなんとブラックホールまで「見えて」しまっているから驚きである。それらの中で、マクロ的なレベルでも揺らぎを伴わないものなど見当たらない。あたかもそれが自然の理(ことわり)であるかのようだ。そしてそれだけでなく、私達の心も揺らいでいるのである。
  いま私は「それだけでなく私達の心も・・・」とサラッと書いたが、これは「だから」ではない。命を持たないものが揺らぐからと言って、心が揺らいでいる必然性はない。というより私は「自然界に存在する命を持たないものが、ことごとく揺らいでいるらしい、ということに気が付き始めた時(ほんの数年前である)も、「でもどうして心まで揺らいでいる必要があるのだろうか?」と問いたいくらいだった。あるいは「自然物が揺らぐことと、心が揺らぐことは全然別の事情ではないか? たまたま、ではないか?」と問いたいくらいであった。
でも最近考えるようになったのは、心の揺らぎは、自然物の揺らぎと実は深く関係しているのではないか、ということなのだ。心はたまたま自然物と一緒に、ではなく、自然物の揺らぎの結果として、必然的に揺らいでいるのではないか? そう問い出した時に、心の揺らぐあり方がもう少しわかりやすくなるような気がしてきたのである。
М87銀河の中心にある巨大ブラックホール(写真:EHT collaboration
先ほどブラックホールにまで言及してしまったが、目線をもう少し近くのものに戻し、身の回りを見渡してみよう。街角を眺めれば、木の枝も、煙突からの煙も、旗も揺らいでいる。空の雲もゆっくりとではあるが揺らいでいる。どれひとつとして一つ所にとどまってはいない。