2019年7月30日火曜日

失敗と冪乗則 2

ハインリッヒの法則について考えているうちに、これと冪乗則とは微妙に違うような気がしてきた。ひょっとしたら、ハインリッヒの思考は、冪乗則についての洞察の一歩手前の状態ではないかと思えるのだ。だって失敗は、いかにも冪乗則に従いそうな感じではないか? 地震も株の高騰や暴落も戦争も、皆冪乗則に従う。失敗だって、その典型例だと考えられてもおかしくない。
ハインリッヒの法則とは何かを読むと、大事故にはそれなりのきっかけがあるということを言っているようだ。大きな事故は、それを起こしかねない30の小さな事故から発展する、と言っている気がする。しかし地震はいかにも起きそうな30カ所の中から選ばれて起きるだろうか?おそらくそうではない。無数の地震発生地の中から、何らきっかけもなくドーンと起きるのだ。それとは異なり、工場における失敗はその兆候を知ることが出来、もう少し予測不可能ということになるのだろうか。
例を考えてみる。最近起きた、新幹線の台車が破断寸前まで行ったという事件。これは予兆があっただろう。しっかりとした点検をしていれば防げたはずだ。問題があそこまで進む予備軍がほかにも29 (実は129の比率にこだわる必要は全くないのだがくらいの問題があったと言えるかもしれない。そしてそれらの29のそれぞれが、10くらいのマイナーな問題を見過ごすことにより生まれた、と考えるのだろう。とすると事件が起きる背景はかなりはっきりし、それは結局は理論的な手法をたどれば防げる、と考えるべきなのだろう。しかしそうだろうか。おそらくそうではない。大事故は29の予備軍から起きる、という見方そのものが怪しい。
殺人事件を例にとろう。多くの殺人には何らかの予兆があるだろう。ABに殺意を抱く。そしてある日凶行に及ぶ。これは確かに大事件だ。しかしAを知っている人は大抵言うのだ。「Aさんはごく普通の人でしたよ。挨拶もするし。」そう。「普段から何をする人かわからず物騒でした。」というケースはむしろ少ないのだ。Aは殺人者予備軍、つまりいつ爆発するかわからない30人、というのとは違うプロフィールを持っていることがおおい。彼はむしろノーマークなのだ。ちょうど大地震が起きた時と場所が大抵ノーマークであったのと同じように。
ということは私のハインリッヒの法則の理解の仕方が間違っていたのか。例のピラミッドの絵が紛らわしいという事はないか。あの絵が下の段の中から一つが選ばれる、ということを意味しているのと誤解されるのではないか。ただ数を表しているにすぎないのだろうか。もしあれが冪乗則に従うとしたら、ピラミッドとは似ても似つかない形の絵を描かなくてはならないだろう。数日前のロングテールの表を思い出そう。あれをピラミッド型に描き変えるとどうなるのか。

これがその図であるが、これは数日前に出てきたロングテールの図を片方を反転させてつなぎ合わせたものだ。昨日のハインリッヒの図は逆三角形だったが、実はハインリッヒが描こうとしていたのはこれではなかったか。
ここで気になってネットで「ハインリッヒの法則」と「冪乗則」を検索していた。両方のつながりは結構示唆されているが、「ハインリッヒの法則って、結局は『なんちゃって冪乗則』じゃない?」と言い切っている文章には出あわなかった。でもそう考える人がいてもおかしくないだろう。