2019年5月7日火曜日

AI と精神療法 ③

さてこの中国語の部屋の例を出したのは、対話をするということはどういうことかを考えるためである。仮に「中国語の部屋」がかなりレヴェルアップし、そこでのメモのやり取りを第三者が読んでも、これが実際の人とのやり取りなのか、それとも高性能の中国語の部屋、すなわちAIかが区別がつかなくなったとする。すると中国語の部屋、いやAIが話の内容を理解していようといまいと、これは精神療法的な価値を有するようになる可能性があるだろう。もちろんそれは相手がAIであることを伏せたままである必要はあるかもしれない。相手がAIであるというだけで拒絶反応を起こして精神療法どころではなくなるようなクライエントもいるだろうからだ。
そこで実際にAIがそこまで進歩する公算は? これが十分にあるのである。皆さんはディープラーニングによりAIの学習能力に関して格段の、革命といってもいいほどの進歩が見られたことをご存知かもしれない。かなり松尾豊先生の本(「人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの」 角川 EPUB 選書、2015年)に知恵を付けてもらっているが、いわゆる「誤差逆伝播 back propagation」という手法を用いることで、AIはかなり自動的に自己学習をしていくことが出来るようになった。たとえてみるならば、進化の過程を自然界ではなく、コンピューターの中で仮想的に起こすと、そこでものすごいスピードで進化が起きてしまうだろう。それと同じだ。この誤差逆伝播を用いると、コンピューターが自分を相手にして、お互いがお互いを「人間のふり」をして騙し合いをすることで、どんどん両者の技術が上がり、人間もどきらしくなっていく。するとおそらく実際の人を騙すことはどんどんできるようになっていくだろう。よくトレーニングを積んだAIが「人と話した感じ」を与えることが出来るようになる可能性は非常に高いし、もうそんなAIが出来ているかもしれない。
もちろんこれで「ほら、だからAIでも精神療法が出来るじゃない!」という結論にはならない。それは人と話した感じになることが精神療法のすべてではないからだ。しかしそれはおそらく確実に精神療法家が行うことの一部になるはずである。
ちなみにこの問題について、「マツコロイド」との芸人の対話というのを院生さんに教えてもらってユーチューブで見てみたが、新しいアイデアを得ることで一つの収穫があった。それはマツコロイドのようなAIのピンボケの対応の仕方は、外国語が分からない人の対話にすごく似ていることが分かったのだ。私はパリで、そしてアメリカで、相手の言うことが分からずに適当な返事をするという体験をとても多く持った。言うまでもなくフランス語と英語の聞き取りの悪さから来るものだ。私の場合はspeaking listening 能力が遅れるということは英、仏語であったため(もちろん今でもある)、間を持たせるためにもわかったふりをして何かを返し、会話を続けるということを常にやっていた。すると向こうの方が会話のずれを修正してくれて会話が進行していくということが起きる。おそらくAIとの対話もそれにとても似ていることが起きるのだ。相手の意味をつかめずに、とりあえず言ってみる。するといわれた方が一生懸命カバーして、会話を成り立たせるということが生じる。マツコロイドを相手にした芸人さんたちは、これをネタにして笑いを取るまでに持っていくことが出来るのだ。
もちろんこれを常に続けていてもやがて相手に飽きられてしまうが、ときどきこちらの外国語による返しが相手にとって、それが私の語学力不足によるものなのか、それとも私が相手の言っている意味は分かっていても会話そのものについて行っていないのか、あるいは内容を踏まえたうえで深遠でわかりづらいことを言っているのかが、相手に見えないということが起きる。
そして実はこのようなことは母国語でも生じるのだ。このあいだ萩原健一(ショーケン)の生前の様子を描いた番組をNHKで見たが、その話の分かりづらさ、インタビューアーとの対話のずれから、母国語でこのような曖昧さやファジーさが生じていると感じさせられた。
結論から言えば、かなり出来そこないのAIでも、短い会話だったら成立してしまう(あるいは成立したと錯覚してしまう)ことは十分アリなのだ。