2019年5月11日土曜日

AIと精神療法 0


まずはこんなエピソードについてお話しする。息子が小学生の頃、つまり20年前のことである。「たまごっち」、というのが流行していたころ、それに似たおもちゃも売られていた。少しサイズが大きく、「たまごっち」のようにいろいろなお世話を毎日するのだが、それに対する反応がもう少し込み入っていた。たまごっちの二番煎じなので、どこまで売れたかはわからない。息子はしばらくそれにえさをやって育てて遊んでいたが、どこかでなくしてそれっきりになって、忘れてしまっていた。紫色の四角形の、「たまごっち」より大型のおもちゃだったと記憶している。数ヶ月ほどして掃除をしていてたまたま本棚の隙間からそれが出てきた。かろうじて電池が残っていたので消えかけて画面を見ることができたが、そこには「もう僕のことをわすれちゃんだね。僕は旅に出ます。探さないでね。」というメッセージが残されていた。それを見つけた息子が号泣し始めたのだが、心配して様子を伺いに来たカミさんまでしばらく一緒に号泣していた。今から考えればとても原始的な電子ゲームであり、感情なども持ちようがないのに、まるで自分たちが世話を忘れたせいで死んだペットのような気持ちを起こさせたことが今になると興味深い。AIに対して人間が情緒を伴った関係を結ぶことができるのか、という問いには、もちろんそうである、というしかない。こちらがどれだけAIに情緒を投影するのか(あるいはAIがどれだけこちらの投影を引き出すのか)ということにそれはかかっているのである。ただしそれが精神療法が可能か、という問いになるとかなり複雑な問題となる。しかし私の答えの方向はここに既に示したものと思っていただきたい。