アトラクタ:心の現象としての面白さ
心理学的に見たアトラクターの問題とは何か? 実は心とか意識という現象自身が一つの大きなストレンジアトラクターとさえいえる。しかしいきなりそんなことを言っても読者を混乱させるだけなので、もう少しわかりやすい話から入る。
あることに注意を集中し、そのためにすべてをささげようとする人がいる。あるいは私たちの中にもそのような傾向を持つ人がいるかもしれない。要するに何事かにハマってしまうことであるが、それがなぜ面白いかと言えば、人によりこれほどまでにハマる対象が異なるという事である。大抵は他人がなぜそれに嵌まるのが理解できない。
ある番組で、東南アジアの某国の河川に住む淡水魚を探し求めることに命を懸けている男性(Aさん、と呼ぼう)について報じていた。もちろんそこに住み着いて、仕事以外は川に入り、魚を探す。見たところ彼は非常に情熱的で、心優しい男性のようである。日本から家族を呼び寄せ、現地で仕事も持っている。それほど情熱的に淡水魚を追いかけながらも、彼に野心のようなものは特に見られない。あえて言うならば、これまでの十何年にわたる彼の活動を写真集として発表することだという。しかしその写真集のためにAさんが10年以上、日本の家族を呼び寄せて移住して、週末ごとに川に入って草むらから魚を追い出して捕獲するわけではない。彼には「この国の淡水魚をすべて見つけ、できることならば新種も見つけ、征服したい」という強い願望があり、それに突き動かされているのだ。ふつう私たちが考えるような、社会的な名声や富と言ったものとはかけ離れている。
Aさんは変人だろうか? おそらくそう呼べるであろうが、特に人に迷惑をかけているわけではない。おそらくほかの大部分の人はそんなことに興味がないという意識は自分にもあるだろう。その意味ではAさんはきわめて正常な人だ。仕事もしているし家族も養っている。しかし彼の興味関心はまさにある一事、某国の淡水魚を網で捕まえることだ。
これは心理学的なアトラクタの一つの典型例と言えるだろう。追いかける、と言っても本来その対象は沢山あっていいはずだ。海の魚だっていいだろうし、蝶だって、昆虫だっていいはずだ。でもAさんの場合、淡水魚に特化しているのだ。通常ならあらゆるものにまんべんなく向かってもおかしくない人間の興味関心が、ひとつのものに集中するという出来事、これが起きているわけだ。
ただしAさんが特に変わっているかと言えばそうではないことは明らかである。健常人(Aさんがそうでない、と言っているわけではないが)にも大抵このアトラクタが備わっている。というよりはそれがない日常生活はあり得ないといってもいい。たとえば洗濯をする時も、面倒くさいなと思いつつはじめても、一定の時間それに関心を奪われ、それにより仕事は片付く。いわば意図的にある事柄に、無理やり自分を「ハマ」らせて仕事をこなすわけだ。しかしよほどいやな事でない限りは、たいていは自然と自分からハマっているものとそれが自分の生活にとって必要な事とは重なっている。それにより私たちの生活は回っているわけだ。