2019年3月9日土曜日

解離の心理療法 推敲 29


治療のセッションでは患者さんはこれらの症状形成に関わる一連の出来事を治療者とともに振り返り、体験の再構成を目指します。患者さんは事態の展開に無力であり、受け身的に苦痛を引き受けていた可能性があります。そうしなければ状況はさらに悪化し、自身の身がますます危険にさらされるという恐怖の中で自己犠牲的に振舞い続けたのでしょう。苦痛が通り過ぎるのをじっと耐え忍んでいた場合もあれば、自ら苦痛に身を投じていた可能性さえあります。いずれにしても「そうせざるを得なかった」当時の状況を、患者さん自身が知ることから始まります。
実際のトラウマの体験の最中は、患者さんは孤独であり、助けを求めることができず、ただ一人放り出されたように感じていたでしょう。その再現となるフラッシュバックの渦中にあってパニックに陥っている患者さんに治療者は働きかけ、安全と安心の感覚を少しずつ育てていきます。被害の現場に当時の状態のまま引き戻された心に呼びかけ、苦痛から脱するために手助けしながら現実に引き戻し、安全な感覚を取り戻してもらいます。それを繰り返すことで、少しずつ「生きた心地」を取り戻すことが治療の目標なのです。深刻なトラウマを抱えフラッシュバックに苛まれ続けている患者さんは、まさに生きた心地のしない日々を過ごしています。患者さんの苦しみは表からは見えにくく、それが患者の孤独感をさらに悪化させているのです。
これらの介入がトラウマ記憶に変化をもたらすことができれば、交代人格の行動化は徐々に減少し、トラウマを抱えた人格が表に表れなくなり、トラウマ記憶はいわば休火山の状態となります。特異な症状は消失し、かつてフラッシュバックの起きた状況で何とか問題なく過ごせるようになります。人格同士の乗り入れのようなことも起き、交代人格に見られた特徴を主人格が取り入れることで、患者は豊かな感情を取り戻します。怒るべき場面でも怒りを感じることのなかった人が怒りを実感し、普通に怒ったり泣いたりするようになり、怒り担当の人格が出現する必要もなくなり、健康な心の働きがみられるようになります。

暴力を受けた体験をもつミノリさん(30代女性)

(略)

2-3.中期~後期の課題
次に中期から後期の治療における課題について述べましょう。
 人格の交代が目まぐるしく起きなくなると、患者さんの日常生活は、一見穏やかになります。治療が進んだ際の特徴の一つは、主たる人格が様々な感情を徐々に体験し、ないし表現できるようになることです。それまでは怒りや恐怖、憎しみや嫌悪といったネガティブな感情を持てないでいた主人格が、徐々にそれらの感情を持てるようになります。ただしもちろんそこには個人差が生じ、主人格はあい変わらずそれらの感情を別人格に託すことも少なくありません。ですからその意味ではこの中期-後期の治療過程に進む患者さんのスピードにはかなり個人差があると言えます。
 これまで別人格が引き受けていた不安や葛藤を主人格が直接体験することになると、それまでとは質の異なる抑うつ感や無力感に襲われるようになります。トラウマそのものがもたらす苦しみから解放された分、自分という存在を連続して体感することに違和感や疲れを覚えるようにもなります。「交代してくれる人たちがいるって、こんなに楽なことだったんだ」という感想を述べる患者さんもいます。この時期にも何かのきっかけで交代人格が現れることはあり、自分が何者であるのかという患者の問いは続きます。それらの違和感に患者さんが慣れてきた頃には、治療は個人の心理療法の様相を帯びるようになり、治療者も一人の人物と継続して関わっていると感じるようになります。
 患者さんは次第に現実を客観的に把握できるようになり、それゆえの悩みも増えていきます。結果として、就職、結婚、子育てなどライフスタイルの新しい局面を迎えることもあります。それらの経験が患者の心のまとまりを促し、全人格的な成長を遂げることも少なくありません。さらに患者さんの変化を受けて家族や周囲との関わりも変化します。悩みの内容も普通の人と同じような日常的な困りごとへと移り進み、健康な人の日常生活に近づいていくのです。個人としての生活が整い、社会的に認められることで、最後まで残っていた交代人格が満足を得て消えていくこともあります。