2章 トラウマが解離を生むのだろうか?
1. はじめに
解離性障害を理解する上で、トラウマというテーマを切り離すことはできません。アメリカの最新の診断基準であるDSM-5(2013年)には、「心的外傷およびストレス因関連症群」というカテゴリーがありますが、解離性障害はその中には含まれていません。つまりトラウマが原因となった病気のグループには正式には属していないのです。しかし解離性障害の発症に幼少期を中心とした何らかのトラウマが関連している場合が多いと考える点では、多くの臨床家の意見が一致しています。代表的な症状である健忘や人格のスイッチングは、トラウマ記憶の再現やフラッシュバックが切っ掛けで生じやすいことが知られています。発症あるいは症状の悪化した時期の前後の状況を丁寧に聞き取っていくと、切っ掛けとなった出来事が見つかり、そこにはトラウマ体験があると推測されることが多くあります。
ただし解離症状の中には、心を許せる友人や恋人が出来たことを切っ掛けに、言わばそれまで人格たちをまとめていた箍(たが)が外される形で現れる場合もあります。また幼少時の生活史を尋ねても、明白なトラウマが見当たらない場合もありますので、「解離の陰には必ずトラウマあり」と決めつけるわけにもいかないことはここでお断りをしておきます。さもないと解離性障害を持った方のご両親は非常に肩身の狭い思いをしなくてはなりません。トラウマには学校で起きたことも、登下校中に起きたこともすべて含まれます。ただしおそらく明らかであろうということは、解離は幼少時に心にとってある種の緊急事態が生じ、心が普段とは別の対処の仕方をしなくてはならなかったという事情を示しているということです。そして以下に述べるトラウマは、その緊急事態に該当する主要なものだということです。
ここでは解離性障害に特徴的なトラウマについて取り上げ、治療での扱い方について解説します。
天災、事故、事件に遭遇した影響などを含め、トラウマ的事態は多岐にわたりますが、解離性障害との関連が深いのは対人関係がもたらすトラウマです。代表的なものとしては虐待を受けた体験がよく知られていますが、日本に特徴的な解離性障害の要因として関係性のストレスrelational stress」という概念をが唱されています(岡野2007、2011)。親子関係におけるミスコミュニケーションが引き起こす子どもの側の「自己表現の抑制」が、解離性障害の発症に関与しているというものです。それを以下に説明しましょう。
2-1.関係性のトラウマ
親から子どもへの愛情が基盤にありながらも、親自身の抱えるストレスや心理的課題と子ども側の要因が重なり、トラウマ的事態を作り出していることがあります。家族の生活状況による親の側のストレスの増加により、子育てにゆとりが持てず、必要以上に厳しい態度を取り、無意識に子どもを攻撃してしまう場合などがそれにあたります。
解離障害の患者さんの多くは、そうした親の苦しみを早い時期から察知し、親をケアするような行動を身に着けています。親の一番の理解者として話を聞き、その期待に応えるべく努力してきた人もいます。患者さんは周囲の状況をよく観察し、自分が何をすべきかを察する能力を備えているものの、自己主張や自己表現がうまくできないため、いわゆる過剰適応に陥りやすい傾向があります。多くの場合、親の側は子どもが「自分を殺して」いることに、気づいていません。過剰適応の結果として、親の期待に適応する人格が誕生すれば、一層それは見えにくくなります。患者さん自らも自分を抑えていると自覚していないことの方がむしろ普通です。解離性障害の人は、自己と他者の心理的境界boundary が脆弱であるために、相手の考えや感情を自分自身のものとして体験しやすいという傾向をもっているからです。
治療ではこのような親子の関係性がトラウマとして作用してきた現状を、患者さん自身が実感をもって認める必要があります。この問題を家族にどう伝え、対処すべきかの問題については、後の第5章で詳しく述べます。
2-2.親の気持ちの不安定さ
子どもの解離を引き起こす要因のひとつに、親のほうの気持ちの弱さや不安定さがあります。我が子の言動に過剰に反応し、些細なことで不安定になりやすい親のもとで育つと、子どもは親の態度に敏感となります。例えば子どもが小さな失敗をした時に、親が励まし支えるのが望ましいのですが、親自身が余裕を持てずにそれに打撃を受けて落ち込んでしまうとしましょう。すると子どもは自分の辛さ以上に親を落胆させたことに苦しみ、二重に傷つくことがあります。子供は普通ならかなり小さい頃から、自分の気持ちや意見を主張する様になりますが、それを親が「自分に逆らった」ととらえて逆上し、混乱した態度を取ることしかできないとしましょう。次第に子どもは自らの自発的な言動が親を苦しめると思い込むようになります。その結果健康な欲求や感情さえ表に出すのをやめてしまい、親の些細な感情の変化に過敏に反応し、顔色をうかがうようになるのです。親の気持ちを逆なでしないよう期待に沿う行動を取るうちに、本来あったはずの欲求や感情は切り離され、場合によっては感じ取れないほどになってしまいます。こうして彼らの真の情緒は解離され、実感を伴う生き生きとした感情は失われていきます。
ここで解離傾向の強い子供の中には、かなり特徴的な現象が起きることが知られています。それは親の心の中にある「いい子」である自分の姿がコピーされたように心に住み着くのです。もしこの親の心の中のいい子である「Bちゃん」が人格として動き出すと、今度はBちゃんが親の前ではいつも顔を出すようになり、本来のAちゃんは隠れてしまうということになります。
あるいは「悪い子」が住みつくこともあります。こちらの方はむしろ叱られることから直接引き起こされる可能性があります。親に怒られた時、子供はその理由がたとえわからなくても「ごめんなさい」と許しを請い、自分を責めることがあります。その際には親の持っている「この子は悪い子だ、だから自分は叱っても当然なのだ」という心理を反映しています。この場合も「悪い子Cちゃん」は最初は親の心にあった「悪い子」の自分の姿がコピーされて心に棲みつくということになります。そしてBちゃん、Cちゃんはそれぞれ別個に子供に住み着き、人格のもとになって行くのです。
複雑系 5
ちなみに長年議論を重ねてきた結果DSMが行き着いた診断基準を見てみよう。こんな書き方だ。
A.はつきりと確認できるストレス因に反応して,そのストレス因の始まりから3カ月以内に情動面または行動面の症状が出現
B.これらの症状や行動は臨床的に意味のあるもので,それは以下のうち1つまたは両方の証拠がある。
(1)症状の重症度や表現型に影響を与えうる外的文脈や文化的要因を考慮に入れても,そのストレス因に不釣り合いな程度や強度をもつ著しい苦痛。
(2)社会的,職業的,または他の重要な領域における機能の重大な障害
C.そのストレス関連障害は他の精神疾患の基準を満たしていないし,すでに存在している精神疾患の単なる悪化ではない。
D.その症状は正常の死別反応を示すものではない
E
そのストレス因,またはその結果がひとたび終結すると,症状がその後さらに6カ月以上持続することはない。
うまくできていると思う。要するにストレスに反応する形で、つまり時間的にそのすぐ後に起き、普通の反応にしてはその程度が強すぎ、そのストレスが消えたら症状も消えるというわけだが、ここではすでに普通の反応ではないと認めることで、「了解可能」とは言えないという事情をもう含みこんでいるということになる。ここでシュナイダーの体験反応の基準「2」を思い出そう。「2.その状態の内容、主題は、原因との関連で了解可能である。」ホラね。ここが違うところだ。シュナイダーが「皆誰でも同じようなことが起きればそうなるよね」と言っていたのは甘かった。適応障害が「(現れた症状が)不釣り合いな程度や強度」だということで何らかの「異常事態」が起きていることを示唆している。でもそれって結局何らかの意味で「内因」ってことじゃないの? そう、結局適応障害は矛盾を含みこんだ居心地の悪い診断だということをみなが認めているのだ。そこで当然起きる疑問。心因性って、意味があるの? 適応障害に診断の価値はあるの? 本質的な問題だ。