2-5.アスペルガー傾向とトラウマ体験
解離性障害を持つ人によっては、生活史を遡っても幼少時にそれらしいトラウマが見当たらない患者さんもいます。そしてそこには当人が持っている独特の世界観やものの感じ方が関係し、それにより通常の対人関係もトラウマとして体験されている場合があります。
例えばアスペルガー症候群をもつ患者さんでは、通常の対人関係でも過度な傷つきを体験し、些細な出来事がトラウマとなってしまう場合があります。一般の人と異なる言動がいじめの対象となり、長期にわたって集団の中で疎外感や孤独感を味わい続けることが慢性的なトラウマ体験となり、そのまま空想世界に引きこもる人もいます。幼少時からその傾向が見られる場合にはその世界でイマジナリー・コンパニオンが誕生し、それが別人格となっていく可能性があります。そのようなケースでは、家族が当人の陥っている問題に気づき、適切な環境調整を行うことで症状が軽減される場合もあるようです。
アスペルガー障害の人々の人生では、上に述べた疎外感や孤独感以外にも、彼ら自身の独特の世界のとらえ方そのものが傷つきの原因となることがあります。彼らの中には疑り深く、他人からの親切心や好意を敏感に感じ取れない傾向の強い人がいます。そして彼らにとっては他人の意地悪な点、自己中心的な点がクローズアップされて移ってしまうことが少なくありません。するとこの猜疑心のために、他者からの親切心が示されても、「この裏には何かがあるに違いない」という警戒心を生む結果になり、ますます良好な対人関係を結びにくくなってしまう可能性があります。
ここではアスペルガー症候群の人々が持ち得る傾向について述べましたが、アスペルガー傾向は様々な障害と共存する可能性があり、それは解離性障害についてもいえます。これまで示してきた解離性障害の患者さんたちの多くは、他人の気持ちを感じ取りやすく、他人に合わせる傾向がある人たちとして描かれてきました。しかし同時に持つアスペルガー傾向の強さに応じて、対人関係におけるストレスもそれだけトラウマとしての意味を持つことが多くなる可能性があると考えられるのです。
3. トラウマの取り上げ方
これまでに述べた事情からも、患者さんとのアセスメントや治療が開始された時点では、トラウマの存在や内容は必ずしも明らかになっていません。生育歴の記憶を辿ってもすぐには想起されず、むしろその時期の記憶には空白が見つかることがあります。ただし「どうしても思い出せない」という期間には、トラウマに関連する事象が起きていた可能性があります。そしてそのトラウマの記憶が解離されていたり、それが明らかにされる機が熟していななかったりする可能性があります。この段階で無理な想起を促す必要はなく、治療に安心して来られるよう手助けするほうが優先されます。
トラウマの想起に抵抗を示す人に対しては、むしろその抵抗感を取り上げて話し合うことも有効かもしれません。苦しい記憶に目を向けるのはどんな人にも辛いものですが、治療で起きる抵抗感には過去に体験してきた対人関係の傷つきが影響しています。自分の語る内容を拒否され否定されるのではないかという不安、他者に理解されないという不信感があります。その訴えを否定せずに耳を傾け、治療でも同じことが起きるのを恐れている場合はその気持ちを共有します。このやりとりが患者さんの警戒感を緩和し、トラウマ記憶の想起を後押しするのです。
抵抗や不安にもかかわらず無理な開示を強要すれば、その侵入的な態度はかつてのトラウマの加害者との関係を想起させ、患者さんの心を追い詰めます。それは過去の対人関係の反復となり、トラウマの再演となる危険があります。治療の初期ではその人のペースを尊重するのが何より大切です。